<メソポタミア文明④>
◎「もののけ姫」少し意外に思われるでしょう?
ギルガメシュ叙事詩からお話をもう一つ紹介します。
旧約聖書の物語に基礎に成っていると説明しましたが、日本映画の基礎にも成っています。
その映画の題名は「もののけ姫」。
私自身、映画館、VTR、DVDと何度も繰り返し見ています。
この映画の基礎に成っている物語が、ギルガメシュ叙事詩で、5000年前シュメール人が書き記した物語が、現代人に訴える力を持ち続けているのです。
ギルガメシュ叙事詩の粘土版2から7にこの様な話が語られています。
当時からメソポタミア地方は、森林資源には乏しく、英雄ギルガメシュは町を建設する為に木材を求めていました。
地中海に面したレバノンには、レバノン杉と呼ばれる杉の深い森が在りました。
そのレバノン杉の森に木を採る為に、「祟りが在るから止めよ」、と云う周囲の制止を押切り、ギルガメシュは親友のエンキムドゥと共に旅立ちました。
やがてギルガメシュとエンキムドゥは、レバノン杉の森に到着し、その美しさに立ちつくし、美しさに圧倒された二人は呆然と森を眺め続けました。
しかし、ギルガメシュは気を取り直してこう思ったのでした。
「この森の木を切り出し、ウルクの町を立派にする事が、人間の幸福になるのだ」
森の中に入いると其処には、森の神フンババが住んでおり、森を守る為にギルガメシュ達と闘うのですが、最後には森の神フンババはエンキムドゥに殺されてしまいます。
フンババは頭を切り落とされて殺されたのですが、エンキムドゥは「頭をつかみ金桶に押し込めた」のですが、このお話は此れから可也続きます。
その後、エンキムドゥは、祟りで別の神に殺される事に成りますが。
此処迄のお話、「もののけ姫」と大変似ていると思いませんか?
エンキムドゥ⇒「タタラ場」のエボシ御前、森の神フンババ⇒シシ神様、首を落として桶に詰める場面迄同じですね。
ギルガメシュ叙事詩では、森の神フンババが殺された後「ただ充満するものが山に満ちた」と書かれているのですが、「もののけ姫」では、シシ神様の残った体から吹き出した「どろどろ」が森や山を枯死させ、タタラ場を破壊し、生き物の命を奪って行きます。
エンキムドゥは祟りで死にますが、エボシ御前は、山犬モロの君に片腕を食いちぎられるものの、命は取り留めます。
人間が文明を発展させれば、必ず自然を破壊し、森を破壊しなければ生きていけません。
しかし、森を破壊すれば、その因果は必ず人間に帰ってきます。
ではどうすればいいのか?「森とタタラ場、共に生きる道はないのか」と「もののけ姫」ではアシタカが苦悩する場面が在りますね。
5000年前に既に、自然破壊の問題が起こっていた事実は、記憶に留めていて良いと思います。
レバノン杉は、地中海東岸のレバノン山脈から小アジアにかけて広く分布していました。
しかし、シュメール人の時代、既にレバノン山脈東側の、メソポタミア地方に面している地域は殆ど伐採されていた様です。
現在では、西側地中海に面した地域も僅かに残っているだけで、現在のレバノン国旗の真ん中には、レバノン杉が描かれています。
森林資源が乏しい為に、メソポタミア地方ではインダス川流域からも木材を輸入していました。
レバノン山脈から運ぶよりも、インドから海上輸送した方が簡単な為ですが、そのインダス川下流地域も今は森林資源が枯渇しています。
メソポタミア文明・続く・・・
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