<メソポタミア文明⑤>
ハンムラビ王◎アッカド王国 紀元前2400年頃、シュメール地方にはじめて統一国家が誕生します。
アッカド王国、建国したのはシュメール人ではなく、メソポタミア北部の山地に住んでいたアッカド人でした。
民族系統はセム系の属すとされており、残された言語で民族系統を判断するのですが、セム系は現在のアラブ人と同じです。
アッカド王国の王の名前で、良く登場する人物がサルゴン1世。
史上最初の大王と呼んでも差し支え無い人物で、サルゴン1世の伝説を記した粘土板も発見されています。
サルゴン1世の父親はアッカド王なのですが、母親は巫女でした。
巫女がサルゴンを懐妊、出産するのですが、巫女が子供を産む事は許される筈はなく、彼女は生まれたばかりのサルゴンを籠に乗せて川に流します。
サルゴンは灌漑人夫に拾われ、彼の息子として育てられますが、成長したあと、女神イシュタルが彼を愛し、やがて王として王国に君臨した話です。
英雄とは一度捨てられ、成長してから別世界から特別な力を身に付けて帰って来て、本来あるべき地位につく話ですが、この様に展開する話を英雄流離譚と呼びます。
世界各地に似た様な道筋を辿る神話や物語が残されていますが、アーサー王出生の話や、旧約聖書のモーセも同様です。
尚、母親が巫女である部分、イエスの母親が処女マリアと云う話を連想します。
アッカド王国のサルゴン1世によって統一されたメソポタミアも、200年程後、山岳民族の侵入によって再び分裂します。
豊かで、文化程度の高いメソポタミア地方は周辺の蛮族にとっては格好の略奪対象で、運良くその土地を支配できれば良く、メソポタミアの歴史は次から次へと、この地に侵入する諸民族の歴史とも云う事が出来ます。
アッカド王国滅亡後、一時はシュメール人のウル第三王朝が繁栄しますが、これもエラム人の侵入により崩壊します。
◎バビロニア王国 次にメソポタミアを統一した民族がセム系アムル人で、紀元前19世紀に建国された、古バビロニア王国で在り、別名バビロン第一王朝、紀元前17世紀迄存続しました。
都はバビロン、最盛期の王は、ハンムラビ王です。
ハンムラビ王の編纂したハンムラビ法典は、シュメール時代からこの地方におこなわれてきた法律を集大成した法典です
ハンムラビ法典の特徴二つ在り、
1,同害復讐の原則「目には目を、歯には歯を」
「もし人が自由人の目をつぶしたときは、彼の目をつぶす。」(第196条)
誰かに危害を加えたら、同じ事を報復として実行される事は、非常に厳しい法律の様に感じます。
しかし、同害復讐の原則は復讐行為に合理的な限度を定めた点で、社会が発展した事を示しています。
多くの民族が侵入し、戦を繰り返したメソポタミア地方では、生活の営みは、常に緊張の連続だったと思います。
古バビロニア王国の支配者はアムル人、支配されているのはシュメール人、アッカド人、その他種々の民族が生活していたと想像します。
違う言語を話し、違う風習で暮らしている中で、争いが起こった時如何に仲裁するか、合理的な規則が必要でした。
その中で生み出されたのが同害復讐の原則であると思います。
2,身分差別的刑罰
「もし奴隷が自由人の頬を殴ったときは、かれの耳を切り取る。」(第205条)
奴隷が自由人に危害を加えた場合、より重い刑を受けるのですが、逆に身分の高い者が奴隷を傷つけても罰金で終わりでした。
厳しい身分差別が存在した事を示しています。
以上二つの特徴を見ると現代的感覚からは残酷な感じを受けます。
しかし、ハンムラビ法典の後書きには、次の様な文章が記述されています。
「強者が弱者を虐げない様に、正義が孤児と寡婦とに授けられる様に」この法を創った事。
単純に古い時代は野蛮とは、簡単に考えていけない文章です。
古バビロニア王国は前1600年頃には、北方から移動してきた別の諸民族に滅ぼされます。
メソポタミア文明・続く・・・
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