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2013/01/12

歴史のお話その10:エジプト文明③

<エジプト文明③>

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◎古代エジプト史の流れ

 古王国(紀元前2700年~紀元前2200年頃)
 中王国(紀元前2100年~紀元前1700年頃)
 新王国(紀元前1600年~紀元前1100年頃)

それぞれの隙間の期間は中間期と云い、エジプトが一つにまとまっていなかった時期です。

 古王国、都はメンフィス、エジプトの下流地域を下エジプトと云い、ここに都が置かれました。
古王国はピラミッドが造られた時代で、最大のクフ王のピラミッドをはじめ、現存するピラミッドはすべてこの時代のものです。
 
 エジプトでは、王をファラオと云いますが、ピラミッドはそのファラオの墓だと一般には考えられていますが、墓と断定しない学者も多数存在します。
墓室が存在し、棺が在って、王墓ではないのと云われるのか?
実は今迄、あらゆるピラミッドから一つもミイラが発見された事が在りません。
一人のファラオが、複数のピラミッドを建設した例も在るので、単純に王墓ではないのかも解りません。

 次の中王国はナイルの上流、上エジプトのテーベが都。
中王国はエジプト初の外来民族であり、混成民族集団ヒクソスの侵入によって衰退しました。
ヒクソスは、アジア方面から侵入したのですが、その結果、馬と戦車がはじめてエジプトにもたらされました。
それまでのエジプトには、馬が存在しなかった為、外界とは孤立した世界だったのです。

 この時代、馬は騎乗する動物では無く、馬に乗って戦う為には、鞍とあぶみが必要ですがまだ発明されていないのです。
馬は戦車を牽かせる為に使い、御者が一人、そして弓を持つ兵士が一人乗って敵を狙いました。
エジプト兵は皆歩兵ですから、ヒクソスは圧倒的に機動力で優れていたのです。
その馬と戦車にエジプトは征服されますが、やがてエジプトはこの新戦法を自分のものとしてヒクソスを撃退します。

その結果成立した国家が、都をテーベとする新王国。
この時代のエジプトは馬と戦車で強国となり領土を広げ、シナイ半島を越えて、地中海西岸のシリア・パレスチナ方面に進出します。

 新王国の成立の少し前に、かつてハンムラビ国王が治めた、古バビロニア王国が滅亡し、この時期、メソポタミア地方中南部はカッシート王国、北部にミタンニ王国、小アジア地方にはヒッタイト王国が存在しており、新王国エジプトはこれらの国々と抗争をくりかえします。
やがてトトメス3世(紀元前1504年頃~紀元前1450年頃)の時にエジプトの領土は史上最大になります。

エジプト文明・続く・・・
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コメント

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こんばんは

ヒクソスの戦法を取り入れる。
その柔軟さがエジプトの強さですね。