2013/01/14

歴史のお話その11:エジプト文明④

<エジプト文明④>

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ネフェルティティ(ネフレテリ)ベルリン・エジプト博物館

◎イクナートン

 アメンホテプ4世、別名イクナートン(紀元前1379年頃~紀元前1362年頃)です。
エジプトは多神教の世界で、様々な地域に其々固有の神様が祀られており、時代と変化と共に信仰も変化するのですが、新王国で最も信仰されていたのがアメン神です。
そしてアメン神に仕える神官達の勢力が、王権を左右する程に非常に大きくなって行きました。

 アメンホテプのアメンは神の名前に由来していますが、アメンホテプ4世自身は神官達が、神の名を騙って政治に介入するのを嫌いました。
しかし、神官の背後には神が存在する為、真っ向から対立することは、殆ど不可能でした。
此処に、エジプト史上最初の宗教改革が断行されます。

 ネフェルティティ(ネフレテリ)は、第10代の王イクナートン(アメンホテプ4世)の王妃でした。
彼女の名前の由来は、「美女は来たりぬ」と云う意味なので、ネフェルティティ(ネフレテリ)は、外国から嫁いで来た美女になります。
古代エジプトの三大美人とも云われる、大変美しい人物でした。

 そして、彼女は王妃と成り、是までのエジプトの宗教を一変させた女傑でもありました。
彼女はアメンホテプ4世の為にそれ迄の神々の一切を否定し、太陽神、中でも夕陽の太陽「アテン神」のみを信仰する宗教改革を断行します。
しかも夫であり、国王のアメンホテプ4世の名前まで変える徹底ぶりで、「アメン」=「満足する」という意味を、アクエンアテン(=アテンに捧げる)へと改名しました。

 ネフェルティティ(ネフレテリ)が、エジプトの神を統合し、彼女は後の宗教家達に多くの影響を与えました。
ユダヤ教徒もキリスト教徒も、ネフェルティティ(ネフレテリ)が、自分達の宗教の基を創ったと考え、大変な信仰を受けています。
このネフェルティティ(ネフレテリ)の姿を表わしているものとして、最も有名なのが、ベルリンのエジプト博物館に存在する、彼女の胸像なのです。

 更に、アメン神官団の勢力の強い首都テーベを遷都し、アマルナ(テル・エル=アマルナ)を建設します。
イクナートンとネフェルティティは、古代エジプトの宗教改革者と呼ばれているのです。

 彼の時代は、芸術も従来の様式から抜け出して、非常に写実的な彫刻などがつくられます。
イクナートンの像も残っていますが異様に写実的で、この時代の芸術をアマルナ芸術と呼びます。

 しかし、ファラオとアメン神官団との対立は激く、イクナートンが崩御すると、次のファラオによってアトン信仰は捨てられアメン信仰が復活しました。
次のファラオが有名なツタンカーメンなのです。

エジプト文明・続く・・・
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