2013/01/15

歴史のお話その12:エジプト文明⑤

<エジプト文明⑤>

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◎ツタンカーメン

 ツタンカーメンの正式名は、トゥット・アンク・アメン。
アメン神の名前が残るこのファラオは、その王墓に残された財宝で大変有名です。

 この時代の王族の墓は、王家の谷に集中していますが、その殆ど総てが長い歳月の間に、盗掘されています。
19世紀からヨーロッパ人による発掘が、本格的に始まりますが、完全な形の王墓が発見される事は在りませんでした。
そしてツタンカーメン王の墓だけは、発見される事も盗掘される事もなかったのです。

 盗掘されなかった理由の一つは、ツタンカーメンが当時無名の王様で在り、8歳から18歳位迄在位しただけの少年王で、格別な業績も記録されていなかったのでした。
当然ながら王墓も大変小規模で、墓泥棒が見逃す程でした。

 もう一つ理由は、ツタンカーメンの後の時代にラムセス6世と云う偉大なファラオが存在し、その大規模な墓がツタンカーメンの墓のすぐ横に造営されるのですが、その工事の為の人夫小屋がツタンカーメンの墓の上に造られてしまいました。
その為、ツタンカーメンの墓は隠れてしまい、やがて、歳月と共にその存在も忘れられてしまったのです。

 発掘したのはイギリス人ハワード・カーター、発掘する為にはエジプト政府の許可が必要ですが、それまで発掘権を持っていたアメリカ人学者が、王家の谷には新たな発見は無いと判断して、発掘権を返上した結果、発掘許可を与えられたのでした。

 ハワード・カーターは、次第に絶望的になって行きました。
彼は25年近くも、少年王ツタンカーメンの墓を探し続けてきましたが、発掘の資金は、既に尽き様としていました。
更には、仲間達の間からも、次第に疑問の声が、上がり始めたのです。

 この英国人考古学者は、その墓が古都テーベの地に在る、王家の谷の何処かに存在する事に、間違い無いと確信していました。
彼がそう信じた理由は、近郊のルクソールの神殿に、ツタンカーメンに関する碑文が存在する事、又その王墓は依然として略奪を受けていないと考えました。
是まで、ツタンカーメン王の遺品が、何一つ報告されていない為でしたが、発掘を開始してから10年間に発見された物は、壺が数個と王に名前が入った、衣類程度に過ぎませんでした。
その後には、谷を隈なく掘り返しても、何の成果も在りませんでした。

 カーターは明け方の涼しい砂の上を、発掘現場に向かって、ゆっくりと歩きながら、彼の後援者で、アマチュア考古学者のカーナボン卿の事を考え、イギリス、ハンプシャーの館での最後の話し合いを思い出していました。

 カーナボン卿は、発掘の中止を望んでいましたが、カーターはもう一度、最後の費用を捻出する事を訴えたのでした。
カーナボン卿は言いました。
「先生、私は賭博師のようなものだ。もう一度、君に賭けよう。もし、失敗したら、それで終わりだ。何処を掘ろうと言うのかね?」
カーターは、王家の谷の地図を見せながら、ラムセス6世の墓への出入口になっている為、未だ未調査の小さな区画を示して言いました。
「此処です!残っている最後の場所です!」

 今、発掘現場に近づきながら、カーターは此れが、彼の夢の侘しい結末らしいと考えており、彼と作業員は、此れまで3ヶ月間、その場所を掘り返したものの、何も発見できませんでした。

エジプト文明・続く・・・
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