2013/01/18

歴史のお話その15:エジプト文明⑧


<エジプト文明⑧>

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余談・ピラミッドのお話

 エル・ギザ(ギゼー)のピラミッドは、何れも第四王朝(紀元前2600年~紀元前2480年)に造営されたもので、最大のピラミッドは、ケオプス(クフ)王のものと云われています。
次位がカフラ(ケフレン)王、三位に位置するものがメンカウレ(ミュケリノス)王のものと云われています。


 ケオプス王のピラミッドはその底辺の長さ233m、夫々の面が東西南北に面し、その誤差は最大1度につき12分の1の過ぎず、四つの角は、ほとんど完全な直角をなしています。
入口の通路と小さな内室を除けば、総ては石灰岩で形作られています。
このピラミッドを構成する、石灰石のブロックの総数は、230万個とも250万個とも推定され、その総重量は684万8千tに達すると計算されています。

 これ等の石灰石は、ナイル河の東岸、カイロ近郊のモッカタム丘陵の採石場から、切り出されました。
モッカタム丘陵には、洞窟の様な砕石場所の跡が、現在でも存在しています。
後世のアラブの人々は、大変迷信深かったので、この場所に足を踏み入れる事は、殆ど無かったと伝えられています。
この洞窟の奥で、葦を用いて作られた長い網が発見され、当時のエジプト人作業員の残した遺物として、貴重な遺産と成りました。

 「歴史の父」と呼ばれるギリシアの歴史家ヘロドトス(紀元前484年~紀元前425年)は、このケオプス王のピラミッド造営について次の様に、推測しています。
「石を切り出し、筏で運び、工事用の道路を作り、ピラミッドの基礎工事を行うだけでも、少なくとも10万人の奴隷が10年を費やし、更にその形に組み上げる迄に20年以上の歳月を経たであろう」と。

 ピラミッド造営の頃、エジプトには車輪、動物を動力にすると云った運搬方法は皆無で、梃子とコロ以外は人力に頼らざるを得ませんでした。
何百人もの人力によって、採石場から運ばれた、巨大な石材は、筏に乗せられて河を渡り、対岸に到着すると再び人力によって、造営地点に運ばれました。
陸上では、丸太を利用したコロを使用し、石材の重量でコロが沈み込まない様、その道路は石畳によって、一種の舗装道路とされました。

 石材を階段状に積み上げる作業は、傾斜路と滑車を用いて、ロープの力で引き上げて行きましたが、階を重ねるに従い、傾斜路をより遠方から整備したと云います。
この作業だけで10年以上、いったい犠牲者の数はどれ程に成るのでしょうか?
唯、ピラミッドの様な巨大建造物が、紀元前のこの時代に造営された事は、驚異であり21世紀現在の土木、建築技術を駆使しても同規模のものを造営する事に、どれ程の時間が掛かるのでしょう?

 230万個とも250万個とも推定された石の1個当たりの重量は、平均2500kg。
総重量は684,万8千tに達すると計算される建造物ならば、長い年月の間に基礎が沈下し、崩壊や歪が発生するのでしょうが、エジプトのそれは、何の狂いも無く聳え立っているのです。

 では、何の為に、ピラミッドは造営されたのでしょう?
一人の権力者の墓所、そして現在エジプトに残る70基余りのピラミッドも其れであると云います。
唯、権力者の遺骸を収容する為に、膨大な物的人的資源を利用し、極めて長期間に渡って働いた事実も現在では、奇跡に近いお話なのです。
只、一つの遺体を保護する事意外、特別な目的を持たず、膨大な資材と10万人とも云われる労働者を動員し、しかも20年間も働かせ続ける事は、現在の私達から考えても奇跡に近いと思われます。

 当時のエジプトで広く信じられていた宗教では、人間の霊魂は一度死ぬとその肉体を離れるものの、後に再び元の体に返って生き返ると考えられていました。
当然、エジプト人は、遺体をミイラにして大切に保管しました。
ミイラの製造方法には、庶民の行い方から、貴族、聖職者、ファラオと夫々に違った工程が存在し、特にファラオは、崇拝されていたので、最高の方法でミイラにされ、ピラミッドに収められたと考えられています。
ファラオが崩御した後、黄泉の国での生活に困る事が無い様、身の回りの考えられる全ての物や、黄金、宝石が収められたのでした。

エジプト文明・終わり・・・
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