<オリエント史①>
◎インド=ヨーロッパ語族 メソポタミア地方、エジプト、更にイラン高原や小アジアを含めた地域をオリエント地方と総称します。ヨーロッパから見た表現なのですが「東方」という意味です。
メソポタミア地方ではシュメール人の都市国家、アッカド王国、古バビロニア王国は、最初に「メソポタミア文明」で紹介しましたが、この地域はシュメール人を除いてセム語系民族なのですが、紀元前2000年頃から、新しい民族が登場します。
これがインド=ヨーロッパ語族なのです。
此処で云う語族は、現在の様な厳密な民族研究に基づくものでは無く、言葉の系統が同じと云う意味です。
紀元前2000年から紀元前1000年にかけての1000年間は、インド=ヨーロッパ語族の大移動の時代です。
彼等の本来の居住地は何処なのか、何時頃、形成された民族なのか現在も模糊としていますが、黒海、カスピ海の北方から移動してきたと考えられています。
推測ながら気候の変動が原因で移動を開始したのではないでしょうか?
一つの集団は、イラン高原に南下した後、東に向かい、インダス川を越えてインドに侵入しました。これがアーリア人で、以前からインドに定住していた諸民族と共に現在のインド文明を築きます。
イラン高原に入った集団はペルシア人に成りました。
西方に移動したグループは、ギリシアに南下した集団がギリシア人、イタリア半島に入った集団がラテン人となり、黒海北岸から、ドイツにかけて定住したグループがゲルマン人と成りました。
当然、当時最も豊かなメソポタミア地方に移住した集団も存在し、その彼等が最初にこの地域で形成した国家がヒッタイト、ミタンニ、カッシートの三国です。
◎ヒッタイト ヒッタイトは紀元前1600年頃、古バビロニア王国を滅亡に追い込み、小アジアに建国します。
この国は史上初めて鉄器を使用しますが、周辺の諸国はまだ青銅器ですから、鉄の武器を持ったヒッタイトは強国に成長します。
当然ですが、製鉄技術はヒッタイトの国家機密として門外不出で、ヒッタイトが滅んで初めて製鉄技術は各地に広まります。
もう一つが戦車(戦闘用馬車)で、ヒッタイトの戦車には画期的な工夫が車輪に施されています。
スポークを使用しているのですが、以前の車輪は丸く切った板を張り合わせなので、重量が在ります。スポークの採用によって車輪の軽量化が実現され、戦車のスピードが速く成りました。
スポークの使用はヒッタイトが最も初期です。
ヒッタイトは、エジプト新王国とシリア地方の領有権をめぐって対立関係にありました。

古バビロニア滅亡後、メソポタミアの北部に建国した国家がミタンニで、エジプトのイクナートンの妃ネフェルティティは、ミタンニからエジプトに嫁いだと云われています。
メソポタミアの中南部に建国した国家がカッシート。
彼等は、それまで縦書きだったくさび形文字を横書きに変更しました。
やがて、ミタンニに服属していた小国アッシリアが、ミタンニの弱体化に乗じて発展し、紀元前8世紀から紀元前8世紀にかけてオリエントを統一する帝国を建設する事と成ります。
オリエント史・続く・・・
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コメント
こんばんは
優れた技術が織り込まれた戦車でした。
2013-01-19 21:24 kopanda06 URL 編集