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2013/01/21

歴史のお話その17:オリエント史②

<オリエント史②>

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◎オリエント地方で独自の活動をした民族

アラム人

 アラム人、彼等は内陸貿易で活躍する商業民族で、中心都市がシリアのダマスクス。
彼らが中継貿易で活躍したのは理由が在り、アラム人は、初めて「らくだ」を運搬に利用したのです。
更にアラム語は、後にギリシア語が共通語になる迄は、商業用語として広まり、この地方の共通語になっていきます。
イエスの時代もアラム語が共通語で、彼もアラム語を話していました。
アラム文字も内陸部に伝えられ、インドや中央アジアで使われた文字の起源は皆アラム文字で、有名なものでは、ソグド文字、ウイグル文字、突厥文字があります。

◎地中海東岸の諸民族

フェニキア人

 地中海貿易で活躍した海洋民族がフェニキア人です。
中心都市はシドン、ティルス、アフリカ北岸には彼等の植民都市カルタゴが在ります。
カルタゴは後に、ローマと地中海の覇権を巡って死闘を繰り返す事になります。

 フェニキア人が海洋民族として活躍できたのにも理由が在るのです。
彼等の居住地は現在のレバノン、前に「ギルガメッシュ」でも触れましたが、当時は未だレバノン杉が豊富な為、その杉材を利用して船を建造したのです。
更に、レバノン杉自体が、重要な交易品と成りました。
フェニキア文字は、ギリシアからヨーロッパに伝えられアルファベットの原型と成りますが、本来商人達が帳簿を付ける為に考案された文字なので書き易く読み易いものでした。
一般の民衆に開かれた文字ですが、例えばエジプトの神聖文字等は、神官、書記等支配者だけに独占された文字なのです。
従って、伝える者が途絶えると解読不可能に成りましたが、その点がフェニキア文字との違いです。

余談:フェニキア人のアフリカ大陸周航

 ポルトガル人の西アフリカ探検に先立つ2000年前の事、「スエズからジブラルタル海峡迄、アフリカ大陸を周航した」と云う、フェニキア人の言葉を信じる人物は誰も居ませんでした。

 この話の中で、最も信用されなかった部分は、アフリカの南端を回った時、真昼の太陽が自分達よりも北側に位置していたと云う部分で、古代社会では、太陽は常に自分達の位置から南側と、誰も信じて疑わなかったのですが之は、北半球で生活する人間に取っては、当然の常識でした。

 偉大なギリシアの歴史家ヘロドドスは、このフェニキア人の話を紹介していますが、彼でさえ、こんなばかげた話は無いと一笑に伏しています。
しかし、フェニキア人の冒険家が、その言葉とおりにアフリカ大陸周航を実行した事は、事実なのでした。

 彼等は、「喜望峰を回って西へ進んだ時、真昼の太陽が右手に見えた」と語り、古代人達は、この話しを聞いて、彼らの話は、嘘の固まりだと思い込みますが、古代人がフェニキア人の嘘の証拠とした証言が、現代から見れば、彼らが本当にアフリカを回ったと信じる根拠になっている事が、大変興味深く思われます。

◎古代エジプト人の思考

 地中海と南回帰線の南では、太陽の位置が反対に成ります。
いくら、海洋民族のフェニキア人でも、この様な事柄を考えつく事は、不可能に違いなく、実際に自分の眼で検分しない限り、思いも因らぬ事なのでした。

 この航海自体は、古代エジプト王 ネコ2世が紀元前600年頃に計画した事でした。
エジプトの東海岸の紅海から、西海岸のアレクサンドリア迄航海する事が可能であれば、人の交流、物資の交流がより便利になるに違いないと考えたのでした。
紅海からアレクサンドリア迄、船で行くには、砂漠に運河を掘る手段が在りますが、ネコ2世は、アフリカ南海岸を回って現在のモロッコに行く方法が、最も簡便な方法と考えたのでした。

 しかし、エジプト人は航海に秀でた民族では無かったので、ネコ2世は、当時地中海を縦横に航海していた、フェニキア人を雇い入れます。
50本の櫂を持ったガレー船で船団を組み、紅海を南下し、アフリカの南端を回って、現在のジブラルタル海峡である「ヘラクレスの柱」迄行くように命じたのでした。

◎未知への船旅

 フェニキア人の船乗り達も、この冒険を大変喜んで引き受けました。
当時、ライバルで在ったギリシア人が押さえている海域を通過する事無く、西に向う海路を捜していたのでした。
しかし、此処で最大の問題は、ネコ2世もフェニキア人も、是から向うアフリカ大陸が、如何なる形で、如何に広大なのか、知る術は無かったのです。

 彼の航海を際限してみると、出帆は11月、アフリカ東端のグアダフイ岬に向かい、此処で船首を南西に向け、季節風に乗りました。
海岸線が西に曲がる日を今日か、今日かと期待しながら、航海を続けましたが、その日は一向にやって来ません。

 太陽が次第に北へ北へと移って行く事を彼らは、気づきながら船を進めました。
航海に目安となる、北極星は今や全く姿を消し、彼らも途方にくれた或る日、海岸線は大きく西へと曲がりました。
船は、アフリカの南端部分を900km進み、出帆の翌年5月、現在の喜望峰を回り、針路を北へと変えたのです。

 アフリカの北西部は大きく張り出しています。
この部分を回る為に、更に10ヶ月の苦しい航海を続けなければ成りませんでしたが、終にジブラルタル海峡を望み見る事が出来ました。

 紅海を出帆してから、2年以上の歳月と24000kmの航海を成し遂げた船団は、順風満帆、地中海をエジプトへ向かいました。
しかし、彼らの偉業が認められるには、其れから更に、2000年の時間が必要でした。

オリエント史・続く・・・
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