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2013/01/23

歴史のお話その19:オリエント史④

<オリエント史④>

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ヘブライ人その2

 新バビロニアは、征服したユダ王国の民、約5万人を首都バビロンに強制移住させました。
この事件を「バビロン捕囚」と呼び、この時の国王がネブカドネザル2世です。
この強制移住政策は、被支配民族の抵抗を封じ込める目的で、当時は頻繁に実行されていましたが、ヘブライ人はこの捕囚を非常に深刻に受け止めます。

 ここからが、ユダヤ教成立の第2段階に成ります。
「何故、我々ヘブライ人はこの様な悲惨に遭遇するのか」と彼等は考えました。
普通「ヤハウェ神を信仰していても御利益がなく、民族として惨めな境遇に追いやられるなら、その様な神様の信仰等捨ててしまいたい」、考えるのですが、彼等は逆の発想をしました。
即ち「我々はモーセ以来の戒律を厳格に守り、ヤハウェ神のみに信仰を捧げただろうか」と、深く反省し、「戒律を厳守しない生活を送っていたから、神は我々にこの様な試練を与えたのだ」、と考えたのでした。
結果として、苦難の中でヤハウェ神に対する信仰が一層強まり、民族としての団結心が強化されたと考えられます。

 50年程バビロンに強制移住させられた後、新バビロニアの滅亡に対応して、彼等は故郷の地に帰ることが許されます。
故郷に帰った人々は、喜び勇んでヤハウェ神の神殿を建設し、一層熱心に戒律を守り宗教指導者のもとで生活をする様に成りました。
これを持って、ユダヤ教が成立したと考えます。

 やがて、ヘブライ人をユダヤ教を信じる人々として、ユダヤ人と呼ぶ様になっていきます。
彼等はユダヤ教を自民族の自己同一性として守りつづけ、結果としてシュメール人もアッシリア人も、アラム人も、フェニキア人も現在は多民族との同化が進み、単一民族としては存在しませんが、ユダヤ人は現在でも世界中で活躍しています。
中国人や、インド人の様に歴史に登場して以来同じ場所で活動して、現在まで存続している集団はとは異なり、ユダヤ人は後のローマ帝国時代に国を失いますが、国を失ってもユダヤ教を信じる事でユダヤ民族は存在しつづけたのです。

◎ユダヤ教の特徴

 最大の特徴が一神教である事。
唯一神しか信じてはならない宗教を形成したのはヘブライ人だけです。
それ以外の民族は様々な神を同時に存在させていて、時に応じて拝み分けています。
日本人は、正月には神社に行き、葬式はお寺の坊さん呼んでお経をあげ、結婚式はキリスト教会でと、様々な神様、仏様をその時々に拝んでいます。
ギリシア神話の神々やインドの神々を考えてもらえば、多くの神が共存しているのが一般的なあり方だと理解できると思います。
キリスト教が浸透する迄のヨーロッパ人もいろいろな神々を持っており、自然現象の中に多くの神々を感じる感性を我々同様、持っているようですが、この感覚は多くの民族に共通です。

 ヘブライ人だけが特別だった、と考えた方が自然です。
キリスト教、イスラム教も一神教ですが、二つともユダヤ教から生まれたものですから、突きつめれば一神教を生んだのはヘブライ人だけなのです。

「偶像崇拝の禁止」が2番目の特徴。
この部分は私達には理解し難い部分で、ここで偶像とは、仏像やその絵画、信仰の対象を彫刻に刻んだり、絵に描いたりしたものはみな偶像です。

 拝むべき神は唯一ヤハウェのみですが、彫刻を拝むと行為はヤハウェではないものを神として拝む事に成り、この時点で一神教から外れてしまいます。
十戒の二つめの戒律は「おまえは偶像を刻んではならぬ」と成ります。
この偶像崇拝の禁止はユダヤ教から生まれたキリスト教、イスラム教にも受け継がれます。
キリスト教の神も、イスラム教の神もユダヤ教と同じ神、ヤハウェですが、キリスト教のイエスやマリアの絵は存在しても、ヤハウェの図像は描かれていません。

 3番目の特徴として、ユダヤ教には選民思想が存在します。
バビロン捕囚の中でヘブライ人達は自分達が惨めな生活を強いられている理由を考えます。
そして自分達の運命を合理化して「神は自分達を選んでいるから、試練を与えてくれている」と考えました。
ヘブライ人は、神からその名を教えて貰っていますから、特別と考える事も当然かも知れません。
他の民族は神から選ばれていないから、試練すら与えられていない、最初から神に見捨てられていると考えたのです。

 「だから、最後の審判の日にはヘブライ人のみが救われるのだ」と成るのです。
その為、ユダヤ教はユダヤ人という範囲を越えて他民族に広がる事は少なかったのです。
のちに登場するイエスはユダヤ人で、ユダヤ教の改革者として布教活動を行いますが、イエスはこのユダヤ教の排他性を取り払った人なのだと思います。

 4番目の特徴。
バビロン捕囚の辛い経験の中から、ヘブライ人は何時か救世主が現れて自分達を救い出してくれる、と云う願望を持つ様に成り、この考えを救世主待望思想と呼びます。
イエスが登場した時に彼を救世主と考える人々が、後にキリスト教を形成して行くのですが、救世主をギリシア語でキリストと云います。
当然、イエスを救世主とは考えない人も多数存在しており、この人々は現在に至る迄ユダヤ教です。

 最後にユダヤ教の経典が旧約聖書ですが、旧約聖書と云う名称はキリスト教の立場からの言い方です。
旧約の意味は古い契約・約束の意味で、契約は、神と人間との契約。
アダムとイヴからはじまって旧約聖書は、神と人の約束をめぐる物語と言って良いでしょう。
古いと云うのは、キリスト教の立場から、イエスと神の契約を新しい契約「新約」と考える処から名づけられたものです。
 
 旧約聖書はイスラム教でも尊重される聖典で、イスラム教は旧約聖書は認めますが、イエスを救世主とはせず、並の預言者として考えます。

オリエント史・続く・・・

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