2013/01/25

歴史のお話その21:オリエント史⑥

<オリエント史⑥>

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ペルセポリス復元想像図(部分)

◎アケメネス朝ペルシア

 4カ国総てを統一したのがアケメネス朝ペルシアで、小アジアからインダス川に至る大帝国を建設します。
アケメネスは支配王家の名前で、ペルシア人はインド=ヨーロッパ語族で、同じ民族系統に属するメディアに服属してイラン高原南部に住んでいました。

 紀元前550年、メディアの政権を奪い、続いてリディア、新バビロニア、エジプトを征服した後、一旦王位を巡って内乱状態に陥りますが、この内乱を鎮圧して統一を回復した国王がダレイオス1世です。
彼は自分の再統一の功績を記念碑に残しましたが、以前紹介したベヒストゥーン碑文で、この時代がアケメネス朝の絶頂期です。

 ダレイオス1世は帝国の支配制度を整備し、全国を20の州に分けて総督(サトラップ)を派遣します。
更に、監察官が上位に位置してサトラップを監督、監視するのですが、この役人を「王の目」「王の耳」といいました。
「王の耳」は密偵、隠密で、サトラップが不穏な動向を見せると王に報告します。
又駅伝制度を整備し「王の道」と呼ばれました。

 アケメネス朝には著名な都がいくつかあるのですが、その代表的なものがスサ、そしてダレイオス1世が建設したのがペルセポリスです。
ペルセポリスは現在、廃墟に成っていますが、当時は壮麗な都でした。
この都はダレイオス1世が儀式用に建設したもの云われており、アケメネス朝は広大な領土を支配している関係から、方々から他民族の使節団や、朝貢使節が来朝します。
その謁見目的に都を造営してのですから、当然ながらペルセポリスを訪れた他民族は、アケメネス朝の威容を見せつけられます。
現在に残された壁のレリーフは、ダレイオス1世が外国の朝貢使節を謁見している姿が描かれています。

 ペルセポリスを廃墟にした人物が、かの有名なアレクサンドロス大王で、ギリシア人を率いて攻め込んできたマケドニア王アレクサンドロスが、ここを占領した時に火を放ち、総てを燃やしてしまいました。

 アケメネス朝ペルシアの他民族支配は比較的寛容だったようです。
アッシリア帝国が強圧的な支配を行い、内乱で滅亡した経験に学んだのでしょう。
ペルシア人の成年男子の数は10万人程度と推定され、この数字総てが戦士と仮定しても、広大な領土を武力だけで支配し続けるには少いと考えられたと思われます。

 例えば、新バビロニアを滅ぼしバビロンに入城した際には、バビロン捕囚のヘブライ人達に帰国を許しています。
その後も彼らが神殿を建設してユダヤ教を信仰していく事に対して、とりたてて干渉をしていません。
結果的には、支配下の民族がペルシアに対して税を納め、戦時には軍役に服せば、それ以外は何をしてもほぼ自由でした。

 徐々に拡大してきたオリエントの交易圏を完全に包む形でこの帝国は成立します。
大統一国家の誕生でアラム人等は商売が容易に成りますが、因みにペルシア人の言語はペルシア語ですが、帝国支配の公用語としてはアラム語が使われています。

オリエント史・続く・・・

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