歴史のお話その23:東地中海に開花した文明①
<東地中海文明①>

◎クレタ文明
エジプトやシリアで諸民族の活動が活発になると、地中海を通じての交易も生まれてきました。
東地中海沿岸とそこに浮かぶ島々のあいだに交易圏が発生します。
この交易圏に生まれたのがクレタ文明で、文明と呼ぶような大規模なものでは在りませんが、この様な言い方をするのは、ギリシア文明に先行する位置にある為です。
クレタ文明、クレタ島、ギリシアの南に浮かぶ小島で発生しました。
1900年、イギリス人エヴァンズが、この島の中央部クノッソスで巨大な宮殿跡を発掘しました。
クノッソス宮殿と呼ばれ、この宮殿は周囲に城壁を持たず、又内部が多くの小部屋に分かれている事が特徴で、壁画にはタコやイルカなど海の生き物達が実に生き生きと描かれていました。
クレタ文明が栄えたのは紀元前2000年から紀元前1500年位迄の約500年間で、絵画等、当初はエジプト等オリエント文明の影響が色濃いのですが、次第に独自色がでてきます。
クレタ文明の担い手達はギリシア本土を支配していたと推定され、ギリシア神話の中にそのことを思わせる話が残っています。
その一つがミノタウロスの伝説です。
◎ミノタウロス伝説
クレタ島には、ミノタウロスと呼ばれる化け物が住んでいました。
クレタに支配されていた、ギリシアのアテネでは、毎年ミノタウロスに生け贄を奉げなければ成らない定めになっていました。
生け贄は少年少女それぞれ7人、彼等はクレタ島のクノッソスに連れて行かれた挙句、ミノタウロスに食べられてしまう運命なのです。
毎年生け贄の子供を決める時期が来ると、アテネの親達は悲しみに沈みながら、くじ引きをする。
当たりくじを引いた瞬間、自分の子供が生け贄に決まるのでした。
このミノタウロスは何者かについて、この様な話が伝わっています。
クレタ島の王ミノスは、王位に就く時に海神ポセイドンの力を借りました。
その時、王になったら美しい牡牛をポセイドンに捧げると約束したのですが、実際に王に成ると、牡牛を捧げる事が惜しく成り、ポセイドンとの約束を守らなかったのです。
怒ったポセイドンが、ミノス王に神罰を下します。
ミノス王には、妃パーシパエが居り、そのパーシパエに牡牛を好きになってしまう呪いをかけるのです。
呪いをかけられたパーシパエは牡牛に惚れてしまい、やがて名匠ダイダロスに雌牛そっくりの模型をつくり、その中に入って牧場で草を食べている牡牛に近づきます。
牡牛は本物の雌牛と勘違いして、交わってしまいます。
王妃パーシパエは想いを果たすのですが、時が満ちて彼女は懐妊しますが、産まれた子供が、顔が牛、体が人間と云う化け物、ミノタウロスでした。
ミノス王は困り果て、自分のポセイドン神に対する裏切りが原因なので、ミノタウロスを殺すこともできず、生かすこともできず、悩んだ挙句に考えついたのが迷宮を造って、ここにミノタウロスを閉じこめる事でした。
一度入ったら二度と出られない迷路宮殿で、この宮殿の奥には、ラブリスと呼ばれる両刃の斧が置かれていたので、この迷宮をラビリントスと呼び、英語の迷路ラビリンスの語源と成りました。
さて、アテネから連れてこられた子供達は、この迷宮に閉じこめられ、やがては迷宮の中でミノタウロスに出会って食べられてしまう運命です。
時は進み、アテネに少年英雄テーセウスが登場します。
彼は旅からアテネに帰ってくると、少年達が生け贄として捧げられる事を聞いて、「自分が化け物を退治する」と言い、自ら生け贄に志願してクレタ島に送られました。
クレタに着くと、ミノス王の娘、王女アリアドネがテーセウスを見て一目惚れ。
アリアドネは静かにテーセウスに近づいて「自分の夫になってくれますか」と尋ねました。
テーセウスは彼女を妻にする約束をし、未来の夫がミノタウロスに殺され食べられては困るアリアドネは、テーセウスにこっそりと麻糸の玉と短剣を渡します。
迷宮に閉じこめられたテーセウスは、入り口に麻糸の端を結び、糸玉をほどきながら迷宮の奥に進んでいきます。
やがてミノタウロスと出会い、アリアドネから渡された短剣を使ってミノタウロスを倒す事ができ、最後に糸を伝って無事に迷宮からの脱出したのでした。
実際のクノッソス宮殿の遺跡には、数多くの小部屋が造られており、古代ギリシア人達はこれを迷宮と考えたのでしょう。
生け贄をささげると云う話しは実際にあった話かもしれませんし、少なくともギリシアの人々は、クレタ島の支配者に対して貢納義務等があったのでしょう。
東地中海文明・続く・・・

◎クレタ文明
エジプトやシリアで諸民族の活動が活発になると、地中海を通じての交易も生まれてきました。
東地中海沿岸とそこに浮かぶ島々のあいだに交易圏が発生します。
この交易圏に生まれたのがクレタ文明で、文明と呼ぶような大規模なものでは在りませんが、この様な言い方をするのは、ギリシア文明に先行する位置にある為です。
クレタ文明、クレタ島、ギリシアの南に浮かぶ小島で発生しました。
1900年、イギリス人エヴァンズが、この島の中央部クノッソスで巨大な宮殿跡を発掘しました。
クノッソス宮殿と呼ばれ、この宮殿は周囲に城壁を持たず、又内部が多くの小部屋に分かれている事が特徴で、壁画にはタコやイルカなど海の生き物達が実に生き生きと描かれていました。
クレタ文明が栄えたのは紀元前2000年から紀元前1500年位迄の約500年間で、絵画等、当初はエジプト等オリエント文明の影響が色濃いのですが、次第に独自色がでてきます。
クレタ文明の担い手達はギリシア本土を支配していたと推定され、ギリシア神話の中にそのことを思わせる話が残っています。
その一つがミノタウロスの伝説です。
◎ミノタウロス伝説
クレタ島には、ミノタウロスと呼ばれる化け物が住んでいました。
クレタに支配されていた、ギリシアのアテネでは、毎年ミノタウロスに生け贄を奉げなければ成らない定めになっていました。
生け贄は少年少女それぞれ7人、彼等はクレタ島のクノッソスに連れて行かれた挙句、ミノタウロスに食べられてしまう運命なのです。
毎年生け贄の子供を決める時期が来ると、アテネの親達は悲しみに沈みながら、くじ引きをする。
当たりくじを引いた瞬間、自分の子供が生け贄に決まるのでした。
このミノタウロスは何者かについて、この様な話が伝わっています。
クレタ島の王ミノスは、王位に就く時に海神ポセイドンの力を借りました。
その時、王になったら美しい牡牛をポセイドンに捧げると約束したのですが、実際に王に成ると、牡牛を捧げる事が惜しく成り、ポセイドンとの約束を守らなかったのです。
怒ったポセイドンが、ミノス王に神罰を下します。
ミノス王には、妃パーシパエが居り、そのパーシパエに牡牛を好きになってしまう呪いをかけるのです。
呪いをかけられたパーシパエは牡牛に惚れてしまい、やがて名匠ダイダロスに雌牛そっくりの模型をつくり、その中に入って牧場で草を食べている牡牛に近づきます。
牡牛は本物の雌牛と勘違いして、交わってしまいます。
王妃パーシパエは想いを果たすのですが、時が満ちて彼女は懐妊しますが、産まれた子供が、顔が牛、体が人間と云う化け物、ミノタウロスでした。
ミノス王は困り果て、自分のポセイドン神に対する裏切りが原因なので、ミノタウロスを殺すこともできず、生かすこともできず、悩んだ挙句に考えついたのが迷宮を造って、ここにミノタウロスを閉じこめる事でした。
一度入ったら二度と出られない迷路宮殿で、この宮殿の奥には、ラブリスと呼ばれる両刃の斧が置かれていたので、この迷宮をラビリントスと呼び、英語の迷路ラビリンスの語源と成りました。
さて、アテネから連れてこられた子供達は、この迷宮に閉じこめられ、やがては迷宮の中でミノタウロスに出会って食べられてしまう運命です。
時は進み、アテネに少年英雄テーセウスが登場します。
彼は旅からアテネに帰ってくると、少年達が生け贄として捧げられる事を聞いて、「自分が化け物を退治する」と言い、自ら生け贄に志願してクレタ島に送られました。
クレタに着くと、ミノス王の娘、王女アリアドネがテーセウスを見て一目惚れ。
アリアドネは静かにテーセウスに近づいて「自分の夫になってくれますか」と尋ねました。
テーセウスは彼女を妻にする約束をし、未来の夫がミノタウロスに殺され食べられては困るアリアドネは、テーセウスにこっそりと麻糸の玉と短剣を渡します。
迷宮に閉じこめられたテーセウスは、入り口に麻糸の端を結び、糸玉をほどきながら迷宮の奥に進んでいきます。
やがてミノタウロスと出会い、アリアドネから渡された短剣を使ってミノタウロスを倒す事ができ、最後に糸を伝って無事に迷宮からの脱出したのでした。
実際のクノッソス宮殿の遺跡には、数多くの小部屋が造られており、古代ギリシア人達はこれを迷宮と考えたのでしょう。
生け贄をささげると云う話しは実際にあった話かもしれませんし、少なくともギリシアの人々は、クレタ島の支配者に対して貢納義務等があったのでしょう。
東地中海文明・続く・・・
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コメント
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2013-01-28 20:11 黒岩 URL 編集