2013/02/02

歴史のお話その28:古代ギリシア①

<古代ギリシアの社会①>

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アテネ・アクロポリス

◎ポリス

 紀元前12世紀にミケーネ文明が滅亡後、数百年間は暗黒時代と呼ばれ、社会が如何なる状況に置かれたのかは現在でもよく分かっていません。
紀元前8世紀頃に成り、ギリシア文明が姿を表してきます。

 このギリシア文明は現在の文明に大きな影響を与えており、その最たるものが、民主主義思想です。今の民主主義は西欧で生まれましたが、その西欧の人々が規範とした文明がこの古代ギリシアなのです。
そして、哲学や芸術等現在も馴染み深い西欧文化の元祖でも在ります。

 ギリシア文明、バルカン半島の南端、そしてイオニア地方、ギリシア人の版図は広く、インド=ヨーロッパ語族に属し、紀元前20世紀頃からこの地方に南下してきたアカイア人、イオニア人、ドーリア人を総称してギリシア人と呼びます。

 彼等はこのギリシア世界を統一する大きな国を作る事はありませんでしたが、 彼等は多くの都市国家(ポリス)を形成してここで生活します。
紀元前8世紀頃には、ギリシアの各地域の人々が集合して居住が始まり、ポリス社会が形成されて行きました。
集まって住むことを集住と云い、これをギリシア語でシノイキスモスと云います。

 代表的なポリスがアテネとスパルタ。
ポリス構造として、中央には小高い丘が在り、丘の上には城塞が造られ戦時には、これが最後の守りと成ります。
この城塞は神殿と一体と成っている事が多く、アテネ場合、小高い丘の上に建っているのがパルテノン神殿で、この町の中心となる丘をアクロポリスと云います。
アクロポリスの麓には、アゴラと呼ばれる広場が在り、ここが政治、経済の中心と成りました。
その周辺に市民の住宅が密集し、最後にそれを取り巻いて城壁が築かれています。
これが典型的なポリスの構造です。

 更にこのポリスの周辺に農地が在り、これもポリスの領土なのです。
ポリスの領域は大きい場合でも日本の県規模で、ほとんどは更に小さいのですが、この様なポリスがギリシア本土やイオニア地方に数多く存在していました。

 ポリスには三種類の身分の住民が居ました。
貴族、平民、この二つの身分が市民で、奴隷と外人、彼等は市民として扱われません。
ギリシアは奴隷制社会で、市民の大部分は奴隷を所有しており、彼等に畑仕事を従事させていました。他に、鉱山等も奴隷は労働力でした。
此処で外人は、商売の為に来ている者が多い様です。

 ギリシアは山が多く、大きな平野は殆ど存在しない為、山の斜面で農業を行います。
雨もあまり降らず、穀物生産には向かないので、果樹栽培で、ブドウやオリーブを栽培しています。
しかし、果実はワインやオイルの原料には成りますが、主食には成り得ませんから、ギリシア人は果実を海外に運び、穀物と交換する事に成ります。
大穀倉地帯のエジプト等と貿易を行い、早い時期からギリシアでは海上貿易が盛んに行われていました。
有名な哲学者のプラトンも果樹園を持っていて、収入源はエジプトとの貿易だったそうです。
貿易で豊かに成れば人口も増えますが、ギリシアは狭く人が増えても住む場所は広く在りません。

 これを解決する方法として、一つは海外植民で、黒海沿岸や、イタリア半島、シチリア島等に植民行いました。
植民市呼びますが、植民市が増えれば母市も一層貿易に有利に成ります。
イタリア半島の南端やシチリア島沿岸は、その様なギリシア人のポリスが沢山出来てマグナ・グレキア、大ギリシアと呼ばれました。

 もう一つの方法が、ギリシア内部で他所のポリスから土地を奪取する事でした。
その様な訳で、ギリシアでは何時もポリス同士で戦争を繰り返していたのです。

古代ギリシアの社会・続く・・・

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