2013/02/06

歴史のお話その31:古代ギリシア④

<古代ギリシアの社会④>

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◎アテネの歴史2・財産政治から民主政治へ

2)財産政治

 この段階では平民は政治から排除されていますから、「ドラコンの法」くらいでは不満は治まりません。
紀元前594年、ソロンの改革によって貴族政治は終焉を迎え、財産政治が始まります。
ソロンの改革は、市民を財産によって等級分けを行い、財産を持つ者には平民にも参政権を与えました。
重装歩兵として武具を自弁できる財産を有する市民には政治参加を認め、これが「財産政治」の意味なのです。

 しかし、これだけでは財産が無く参政権を与えられなかった平民が不満を持ちます。
そこで、無産階級である平民の借金を帳消しにした上で、極端な貧困平民には、借金の結果として奴隷身分に転落する者も居ましたが、この様な事が起こらない様に制度をつくったのでした。
「債務の帳消しと、債務奴隷の禁止」を制定しました。

 貧乏平民の側から見れば、借金を棒引きにしてもらった行為は、有難いのですが同じ平民で在りながら、財産の多少で参政権に差別をつけられるのは面白くなく、やがて彼等が不満を持ちます。
何時の時代でも同様ですが、金持ち平民と、貧乏平民の何れかが数として多いか考えれば、圧倒的に貧乏人の方が多いのです。

 この大多数の 貧乏平民の不満を利用して非合法で政治権力を握る者が出現しました。
ペイシストラトスは、富裕層から権力を奪い独裁政治を行いました。
これを僭主政治と呼び(紀元前561年~紀元前528年頃)僭主は、独裁者を意味すると理解しておいて良いと思います(君主の堕落形態の意)。
此処で重要なのは、独裁政治だから、滅茶苦茶な政治を行ったのでは無く、ペイシストラトスの場合は、貧しい平民を経済的に助ける施策を積極的に実施していますが、富裕層側から見た場合、滅茶苦茶な政治で在ったかもしれません。

 ペイシストラトスの死後、跡を継いだ僭主が紀元前510年に追放されて、アテネには民主政治が確立してきます。

3)民主政治 

 民主政治は三段階に別れます。
第一段階、クレイステネスの改革(紀元前508年)、貴族の権力基盤となっていた古い部族制度を廃止し、地域割りで新しい部族を創設した事。
これを10部族制と呼び、現代では、国会議員の選挙区の区割りを大物議員や与党に不利な様に変えてしまいました。
これによって貴族は名ばかりの存在となりました。

 更に、陶片追放制度の実施。
これは興味深い制度で、独裁者、僭主の出現を未然に防ぐことを意図した制度でした。
投票は、まだ紙が無いので瓦の破片等に有力者の名前を刻んで投票しますが、その時に自分の「嫌いな人」の名前を署名するのです。
将来独裁者に成りそうな人物等の名前を書き、6000票以上投票された人物は、10年間アテネを追放になるという制度です。

 クレイステネスの改革によって、貴族と僭主は事実上消滅し、政治の主体は市民と成りました。
この市民とは名前だけの貴族と金持ち平民です。
この段階ではまだ貧困平民は参政権が存在せず、この人達も政治に参加できるようになったのが、紀元前5世紀前半のペルシア戦争を通じての事でした。

古代ギリシアの社会・続く・・・

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