2013/02/12

歴史のお話その36:古代ギリシア⑨

<古代ギリシアの社会⑨>

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Alliances in the Pelopennesian War, 431 B.C. 1.Wikipediaより

◎ポリスの衰退

 やがてアテネとスパルタが覇権を争う時がやって来ました。
ペロポネソス戦争(紀元前431年~紀元前404年)です。
アテネはデロス同盟の盟主として、ギリシアの指導的立場に就くのですが、その手法は他のポリスの反感を買うようなことが多く、例えば、現在のアテネでアクロポリスの上にパルテノン神殿が建っています。
この大理石の立派な神殿は、ペリクレス時代に造営されましたが、この建設費の源泉はデロス同盟の資金を流用しています。
デロス同盟は軍事同盟なので、加盟ポリスから軍資金を徴収しますが、この金員をアテネはペルシア戦争で破壊された自分の町の復興の為に流用したのです。

 当然、他のポリスは反感を持ち、その筆頭がスパルタでした。
スパルタは自国を盟主とする、ペロポネソス同盟の盟主でしたから、このギリシアの両雄がギリシア全土の覇権を賭けて衝突したのです。

 最終的にスパルタがアテネを撃破するのですが、アテネに代わったスパルタの覇権は、長期に及ぶものでは在りませんでした。
次に覇権を掌握したポリスがテーベで在り、エパミノンダスが登場し急速に勢力を伸ばしてきたのです。
彼は斜線陣と呼ばれる新しい戦法を編み出し、紀元前371年にレウクトラの 戦いで、スパルタ軍を破り、この時点で覇権はスパルタからテーベに移りました。

 この様にギリシア内部で次から次へと戦乱が続き、ギリシア世界全体として衰退してしまいます。
まずは農業が荒廃して行きました。
例えば、ペロポネソス戦争の時に陸軍では劣るアテネは、籠城戦を行いますが、アテネ市を包囲したスパルタ軍はアテネ近郊に広がる畑のオリーブやブドウの木を切り倒してしまいます。
米や麦ならば一年草なので、刈り取られても翌年は収穫できますが、果樹は切られてしまえば次に苗木を植えても、収穫できる迄には何年も掛かります。
正に農業荒廃で、戦争が終わってもすぐに回復できません。

 農業経営者の中産市民はこの結果、没落する者が続出し、収穫なければ収入も無く農地を売り、財産を処分し、最後には重装歩兵の武具を売る事に成りました。

 更にこの時代の政治は衆愚政と呼ばれ、民主政の腐敗堕落した形態に陥ります。
民主政と見た目で違いはありませんが、政治に関わる市民達の考え方の違いなのですが、ポリス全体の事を考えるのでは無く、目先の自分の利益を第一に考える、そんな者達の民主政です。

古代ギリシアの社会・終わり・・・

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