2013/02/14

歴史のお話その38:アレクサンドロス王②

<アレクサンドロスの東方遠征②>

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アレクサンドロスとアリストテレス

◎アレクサンドロス

 この若干20歳の跡継ぎこそが、アレクサンドロスでした。
アレクサンドロスは王位を継ぐと、すぐさまマケドニア軍を掌握し、独立を企てたポリスを制圧しました。
その上で、アレクサンドロスは全ギリシアの盟主にして、対ペルシア戦最高司令官になります。
ギリシアの地盤を固めてから、彼がおこなったのが有名な東方遠征です。

 アレクサンドロスは英雄なので、種々の伝説が存在すし、どこまで本当か分からない逸話もたくさん在るのですが、この様な話も在ります。

 準備を整えて東方遠征に出陣するに当って、出陣式を挙行しました。
アレクサンドロスは22歳、まだまだ若い、当然若い仲間の貴族も数多く居り、マケドニアは王と貴族の間が隔離されていませんでした。
貴族の第一人者が王なので、ギリシア人の人間関係は上下関係より横関係の方が強く、王も若い貴族達も仲間同士的な感じで、盛り上がったのでしょう。
このときアレクサンドロスは、自分の財産を気前よく仲間達に分けてしまいます。
森林や領地を気前よく財産分けて、アレクサンドロス自身の持ち物がなくなってしまったので、ペルディッカスが王に尋ねました。
「王よ、貴方には何も残らないのではないですか?」
それに対してアレクサンドロスが言ったと伝えられる台詞(せりふ)。
「私には希望がある。」
考えさせますね!

 父王フィリッポスがマケドニアの勢力を伸ばして、ギリシア全土を制圧していくときに、アレクサンドロスが仲間に言ったと云う言葉。
「困ったものだ。父上が何もかもなされてしまっては、我々のやることがなくなってしまう。」
東方遠征は具体的にペルシア遠征ですが、これは彼の父フィリッポスがすでに計画をしていたもので、息子に残されたと云う事に成ります。

 紀元前334年、アレクサンドロスは東方遠征に出発、率いるギリシア軍は騎兵、歩兵あわせて約4万。
このとき兵糧は30日分と伝えられますか、絶対勝利をおさめ軍資金や食糧は現地調達する予定でした。
ヨーロッパとアジアを隔てるダーダネルス海峡を渡り、まず最初の会戦が、グラニコス河畔の戦いと呼ばれています。
この時のペルシア軍もほぼ4万人くらいですが、この戦いでアレクサンドロスは、敵を蹂躙し、途中の都市を制圧しながらメソポタミア地方に進路をとりました。

アレクサンドロスの東方遠征・続く・・・


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