2013/02/15

歴史のお話その39:アレクサンドロス王③

<アレクサンドロスの東方遠征③>

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イッソスの戦い・アレクサンドロス&ダレイオス3世

◎アレクサンドロス②

 ペルシア側が軍勢を立て直し、アレクサンドロスを迎えたのがメソポタミア地方の入り口にあたるイッソスです。
この戦いで、初めてペルシア大王ダレイオス3世自身が出陣し、ペルシア軍公称60万人、実際には40万人と云われていますが、それでもギリシア軍の10倍の戦力です。

 しかし、この40万人の中で本体であるペルシア人は、それ程多くないと思います。
純粋なペルシア人の戦士は、全部集めてもせいぜい10万程度で、他の軍勢はペルシア領内の色々な民族から集められているのです。
ペルシア軍にはギリシア人の傭兵も結構居り、食い詰めたギリシア人がペルシア迄出稼ぎに来ているのですが、ギリシアの重装歩兵は強力ですから、重宝されていたようです。

 後の時代の有名なモザイク壁画に、イッソスの戦いを描いた物が在ります。
戦場から脱出しようとする、ダレイオス3世の後ろに控えている、軍勢は長い槍を持っています。
この軍勢が重装歩兵で、ペルシア大王の親衛部隊として、間近に備えているのです。
ペルシア軍は数こそ多いものの、決して一つにまとまった、大きな力を発揮できる状態では在りませんでした。

 さて時は紀元前333年、イッソスの戦いが始まりました。
戦いは乱戦に成り、アレクサンドロスは自分から真っ先に敵に突入し、ペルシア大王の本陣に肉薄します。
ペルシア大王ダレイオス3世は、余り対外戦闘の経験は無く、この様な戦には向いていなかったので、ギリシア軍の突撃に陣を見出し、あわてて戦車の向きを変えて脱出し、イッソスの戦いはアレクサンドロスの勝利でした。

 戦場には財宝がたくさん残されていました。
ダレイオス3世は戦場でも豪勢な生活をする為に、特別の天幕に家具調度品を持ち込んでいた上、自分の母親、妃まで連れてきて居たのですが、彼女達も皆置き去りにして逃亡です。
戦場に残されて母親や妃は、ものすごい美人だったらしい!
本来なら、皆アレクサンドロスのものになるのですが、アレクサンドロスは彼女達には指一本触れず丁重に保護しました。
大変、禁欲的で潔癖ですね。

 この話しを後で伝え聞いたダレイオス3世は、「もし余がペルシア大王でなくなったとき、代わりに玉座に座るのはアレクサンドロスであって欲しい」と云ったとも外史では伝えられています。
真実か否かは時代が進んだ現代では分かりませんが、この言い伝えはアレクサンドロスの意図を想像させます。
ペルシア帝国を滅ぼして、その領土を支配するのなら、ペルシア人の協力は絶対必要ですから、ペルシア人の支持を受けるにはどうすれば良いのでしょう?
彼のペルシア王妃達に対する保護には、その様な深謀遠慮が在ったと思われます。

 イッソスの戦いの後、アレクサンドロスは逃亡したダレイオスを追わずに、進路を南に取ります。
まずフェニキア攻略を目標にし、7ヶ月かけて、ティルス市を攻略し、ギリシアの海上貿易の利益にとって、フェニキアは邪魔な存在でした。
そして、エジプトに入ります。
エジプトではペルシアの支配に対して抵抗が強まっており、ギリシア軍は歓迎されます。
アレクサンドロスは解放者として迎えられました。

 次の戦いが紀元前331年のアルベラの戦いです。
エジプトからメソポタミアに軍を進めたアレクサンドロスとダレイオス3世の最後の決戦です。
ペルシア側は100万の軍勢で、4万のギリシア軍に勝ち目はないと考えたパルメニオン将軍は、アレクサンドロスに進言しました。
「王よ、この大軍に勝つには夜襲しかありません。」
アレクサンドロス答えて言います。
「私は勝利を盗まない。」
これもアレクサンドロス伝説なので、真実か否かは判りませんが、この様な話です。
ペルシア側は、逆にギリシアの勝機は夜襲しかないと考えており、夜襲に備えて全軍に完全武装で眠らない様に命令を出しました。

 アレクサンドロスの夜襲攻撃に、すぐさま対抗する作戦でしたが、アレクサンドロスには全くその気は在りません。
ペルシア軍は夜襲攻撃に緊張しながら夜を明かしてしまい、将兵共に徹夜の緊張消耗失くしています。
一方のギリシア軍は、完全な睡眠を取り、朝を迎えました。
実際には、今度の決戦も乱戦に持ち込まれ、又もやダレイオス3世は戦場離脱です。
そのため全軍総崩れに成って、敗走しますが、事実上ペルシア帝国は滅亡し、アレクサンドロスがその帝国の後継者になりました。
逃亡したダレイオス3世は、地方のサトラップ(総督)の裏切りで命を落とします。

アレクサンドロスの東方遠征・続く・・・

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