2013/02/16

歴史のお話その40:アレクサンドロス王④

<アレクサンドロスの東方遠征④>

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エジプトにて、伝説の結びを切るアレクサンドロス

◎アレクサンドロス③

 アレクサンドロスはその後も旧ペルシア領を支配下に納めながら、東に向かって転戦していきました。
紀元前326年にはインダス川を渡りインドに侵入しました。
この頃になると、故郷のギリシアは遥かに遠く、彼の率いる兵士達は不安になります。
東方遠征に出発してから既に8年の時間が過ぎ、兵士達の望郷の念も一層激しいものに成ってきました。
アレクサンドロスも兵士達の気持ちが伝わったのか、ここでようやく遠征は終わりアレクサンドロスの軍は帰途につきました。
ただ、アレクサンドロスがマケドニアに帰ることはありませんでした。
彼はペルシア帝国の後継者として、バビロンから帝国を統治したのです。
しかしながら、彼の作り上げた大帝国には名前がありませんでした。
この後すぐにアレクサンドロスは、死んでしまい、通常アレクサンドロスの帝国と呼ばれます。

2)アレクサンドロスの政策

 彼は新たに征服した領土に、アレクサンドリアと名づけた都市を建設します。
中でもエジプトのナイル河口に築いた、アレクサンドリアが有名ですが、帝国各地に支配の拠点として同じ名前の都市を数多く造り、全部で70以上の街が存在します。

 この新しく造った都市には、アレクサンドロスがギリシアから連れてきた、ギリシア兵達が住むことに成りますが、中央アジアやインドに近いアレクサンドリアに住むことに成ったギリシア人達はギリシア本土から遠く離れている為、次第に現地の人々と結婚等により、土地の人たちに吸収されていきますが、ギリシア風の文化がこの様な地方にも広がることに成りました。

 さらに、アレクサンドロスはギリシア文明とオリエント文明を融合させ、具体的には民族融合を考え、ギリシア兵士とペルシア貴族の子女との集団結婚を行い、自分自身もペルシア王族の女性を妻にしています。
広大な帝国を治める為にもペルシア人を登用しますが、アレクサンドロス自身がペルシアに傾いていきました。
この様な状況が、マケドニア以来アレクサンドロスの身近にいた貴族グループとの間に、壁を生み出します。
「アレクサンドロスの勝利はマケドニア人のおかげじゃないか」と、不満を持つ訳です。

 また、エジプトでアレクサンドロスは神殿都市シワーに行くのですが、ここの神殿で神の生まれ変わりというお告げを受けて、エジプト人に歓迎され、もともとエジプトは王を神の化身と考える伝統があるので、神の生まれ変わりと言われ、神の化身のように接待されました。
王を友人のように対等に近い感覚で扱うマケドニア人やギリシア人との落差は大きいです。

 ペルシア人の王に対する態度もエジプトに近く、王を高いところに置いてお仕えします。
ペルシアやエジプトでの王の在り方は「専制主義的」なのです。
アレクサンドロスにとってギリシア風よりもオリエント専制主義に傾いていたのは当然ですが、彼はギリシア人やマケドニア人に対しても神のごとく自分に接するように強制しはじめます。

 その矢先アラビア方面に遠征計画が在り、出陣を祝う宴会で突然倒れ、何日か寝込んだ後で亡くなります。
死因はよく分からず33歳でした。

3)ヘレニズム諸国

 後継者が問題がですが、後継が居らず、妃の一人が懐妊中で、アレクサンドロスの死後息子が生まれますが、生まれたばかりの子供に統治能力は無く、肉親としては腹違いの兄が居たのですが、この人物は障害も持ち合わせていた、王位には耐えられません。

 結果的にマケドニア、ギリシアに建国したアンティゴノス朝マケドニア、旧ペルシア領に建国したセレウコス朝シリア、エジプトにプトレマイオス朝エジプトが生まれます。
そして是等の国々は、その子孫が王位を継承していくことになります。

 セレウコス朝シリアは領土が広大で、中央アジア方面まで統制ができず、中央アジア方面のギリシア人総督は、自立してバクトリアを建設しました(紀元前255年)。
ペルシア本土、現在のイランではペルシア人の国家パルティアが自立します(紀元前248年)。

 この様にして、徐々に旧アレクサンドロスの帝国は分裂していくのですが、アレクサンドロスの東方遠征以来、プトレマイオス朝エジプトが滅亡する紀元前30年迄の約300年間をヘレニズム時代と呼びますが、これはギリシア風の時代という意味で、メソポタミアや、エジプトなどのオリエント地方にもギリシア文化が広まった時代を示しています。

 アレクサンドロスの帝国の流れを汲む国はヘレニズム諸国と呼ばれます。
いちばん長く続いたヘレニズム諸国がプトレマイオス朝エジプトで、最後の王が有名なクレオパトラ。クレオパトラは、民族的にはギリシア系であり、アレクサンドロスの武将プトレマイオスの子孫なのです。
ヘレニズム時代というのはギリシア人が支配者であった時代でもあるわけです。

アレクサンドロスの東方遠征・終わり・・・

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