2013/02/21

歴史のお話その44:ギリシア・ヘレニズムの文化④

<ギリシア・ヘレニズム文化④>

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◎ソクラテスの死

 ソクラテスは、自分なりのやり方で、必死になって真実を追究して行きました。
しかし、その晩年には有力者に憎まれ、告訴され裁判で死刑判決を受けてしまいました。
罪状は「青年を腐敗させ、国家の認める神々を信じない」と云うもので、これは現代から見れば罪とは言えない様な罪状でした。

 裁判で、ソクラテスは得意の弁論で、自分の無実を主張するのですが、結局有罪を宣告されました。
アテネの裁判は陪審制で票数は281対210と云われています。
有罪が確定した後、如何なる罪状とするかの裁判が続くのですが、ソクラテスはその公判の場面で、開き直って告げました。
「自分はアテネの為に尽くしてきた。悪いことは何一つ犯していない。そんな私にふさわしい罰はアテネの町が私にお金を贈ることしかない」。
此れは陪審員を敵に回す様なもので、彼を訴えた輩は、幾らなんでも死刑を執行しようとは思っておらず、悪くても国外追放(アテネ市追放)、ソクラテスが今後論述を展開しなければそれで良しと考えていたのですが、結局死刑判決が出されてしまいました。

 ソクラテスは収監されるのですが、牢番は結構いい加減で弟子や友人達が、牢獄のソクラテスに会いに来る事を拒まず、更には面会の人物が、現れては彼に逃亡を勧めるのです。
「手はずは整えているから逃げよう」、この様な会話でしょうか?
しかしソクラテスは断わります。
「私は逃げない」と。

 なぜ逃げないのでしょうか?
ソクラテスは自分の思想を裏切りたくなかった、そして彼は自分の信じるままに行動してきた、それは真実の為で在り、より良く生きる事でした。
その結果が死刑判決ならば、それを受け入れる以外に彼の道は無かったのでしょう。

 ソクラテスの死刑は自殺形式の死刑執行で、自分で毒杯を飲むものです。
当にソクラテスが、毒杯を飲んで死んでいく瞬間にも、弟子達が彼の傍に付き添っているのですが、その弟子達を前にして、「足の感覚が無くなってきた、死が近づいてきた」等と会話をしています。
更にはソクラテスが、泣いている弟子を慰めたりしながら、最後迄自分の哲学を語り続け、堂々とした立派な死を遂げたのでした。

 この様なソクラテスの生き方全体が、友人や多くの弟子達に深い感銘を与えたのです。
より良い生き方を求め、自分の思想を裏切らないソクラテスの姿勢は、議論で勝つ為の弁論術の教師とは全く異なる姿でした。

 プラトンはソクラテスの弟子で、ソクラテスの死後にその言動をまとめて沢山の本を書いています。

ギリシア・ヘレニズムの文化・続く・・・

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