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2013/03/01

歴史のお話その51:ローマ帝國の発展③

<ローマ③>

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カルタゴ市の建設

2)地中海世界の統一その②

 ハンニバルはローマを降伏させることが出来ない代わりに、ローマもハンニバルに勝てません。
しかもハンニバルはイタリア半島に留まり続けている訳ですから、ローマも何とか手段を講じたい。
そこで登場するのが、ローマ将軍スキピオです。
スキピオは元老院の反対を押し切って、直接カルタゴを攻撃しました。
カルタゴの指導者達は、軍事的采配を振るう事が出来ないので、直接攻略されれば、ハンニバルを呼び戻すだろうと考えました。
これは一種の博打で、スキピオの出陣によってローマに対する守備兵力は皆無に等しく、若しハンニバルが戻ら無いままに、ローマ軍が攻撃を開始した場合、結果は火を見るより明らかでした。

 実際にカルタゴ本国の指導者達は、スキピオ率いるローマ軍が本国に迫った事を見て、ハンニバルに召還命令を出します。
カルタゴ南方のザマでハンニバルとスキピオの決戦が行われ、不敗のハンニバルは遂に敗れカルタゴは降伏しました(ザマの戦い、紀元前202年)。
カルタゴは本国以外の領土を総てローマに奪われますが、国の存続は認められました。
これが第二次ポエニ戦争です。

 ハンニバルはその後カルタゴの指導者の一人となりますが、失脚しシリア方面に亡命しました。
一方のスキピオも大スキピオとよばれ、ローマの大物政治家となるのですが、此方も晩年に失脚しています。
史実か否かは既に検証する事もできませんが、後に2人がロードス島で再会したと云います。
ハンニバルは既にアレクサンドロス大王と並び称される名将で、スキピオはその彼を破っています。それが自慢のスキピオがハンニバルに問いました。
「古今東西で最高の名将は誰か?」
ハンニバルは答えます。
「それはアレクサンドロス大王である。」
スキピオ
「では二番目は?」
ハンニバル「エピルス王ピュロスである。」
スキピオは自分の名前が出て来ないので次々に質問を発しました。(何処か日本の寿司食いねェに似てますが)
「では、三番目は誰か?」
ハンニバル
「それは、私ハンニバルである。」
スキピオ
「あなたはザマで私に敗れたではないか。」
ハンニバルも負けません。
「そう、もし勝っていれば私はアレクサンドロスを飛び越して一番だ。」

 第三次ポエニ戦争、紀元前149年~紀元前146年。
第二次ポエニ戦争で敗退し領土を奪われた後も、カルタゴは海上貿易で立ち所に復興し、繁栄を取り戻すのですが、ローマの発展にとってはカルタゴを滅亡させる必要が在りました。
第三次ポエニ戦争は、圧倒的な軍事力を持つローマ軍に包囲された、カルタゴの籠城戦です。
ローマ軍の指揮官が小スキピオ、彼は大スキピオの長男の養子です。

 籠城戦ですから、ローマ軍は食糧が無くなって降伏するのをひたすら待ちますが、カルタゴ市の城壁の上を巡回警備しているカルタゴ兵の様子をずっと観察しています。
食糧が尽きて来れば、当然変化が現れる筈ですが、包囲戦が4年目に入っても、兵士に食料不足を感じさせる物が在りません。
ローマ軍が不審に思っていた処、カルタゴから逃れてきた市民を捕まえて城内の様子を尋ねると、女子供が自分の命を絶ってその肉を警備兵に食べさせていると云います。
その状況を聞いて、ローマ軍は総攻撃を実効しました。
もうカルタゴはまともに戦える状態では無く、ローマの圧勝でした。
残った住民は全部奴隷に売り払い、土地には海水をまいて二度と人が住めないように徹底的に破壊しました。
カルタゴ滅亡と同年、紀元前146年には東方のマケドニア、ギリシアもローマによって征服されています。

 新しく領土に加えられたイタリア半島以外の土地をローマは「属州」としました。
属州にはローマから有力貴族が総督として送り込まれて、税金を取立てその富がローマ市に流れ込んで来ます。
税金を払わなくてよいイタリア半島の服属都市とは全然待遇が違いますし、戦争捕虜が奴隷としてどんどんローマ市に送り込まれました。
世界帝国としてのローマ誕生です。

ローマ・続く・・・

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