2013/03/04

歴史のお話その53:ローマ帝國の発展⑤

<ローマ⑤>

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2)グラックス兄弟の改革

 ローマの名門貴族出身の若者の兄弟でティベリウス・グラックスとガイウス・グラックスがいました。
彼らは、スキピオの一族でもある名門中の名門で、このグラックス兄弟が、ローマ農民の没落をくいとめる改革を断行するのです。
最初に改革を試みたのは兄のグラックスで、彼の政策は非常に筋の通った政策でした。
農耕地を失い都市に流入している者達に、新しい土地を与えて再び自作農民に戻そうと考え、その延長線上にはローマ軍を再建する計画が在ります。

 では土地はどこから手に入れるでしょう?
貴族のラティフンディアは、125ヘクタール以上の土地を占有している貴族から、それ以上の土地を国家に返納させ、その土地を没落市民に再分配しようと考えたのです。
当然ですが、この政策に平民たちは熱狂しますが、貴族たちに取っては面白く在りません。
農民の没落でローマ軍の弱体化が進むのは、確かに心配なのですが、自分の土地を国家に取り上げられる事は、話しが全く違います。
当に総論賛成各論反対です。

 グラックスも貴族ですが、自分の利害より国家の利害を優先させて考えたのです。
只、彼の方法はかなり強引なところが有り、普通の手続きを踏まず、元老院との相談もなしに、改革を推し進めようとしたのでした。(報告連絡相談の欠如)
反対派貴族と改革を歓迎する平民の対立で、ローマは騒然とした雰囲気に成りました。

 兄グラックスの役職は護民官です。
護民官は身体不可侵で神聖ですから、反対派も手が出せない筈なのですが、強行反対派がよろしく無い組織を雇ってグラックスを襲わせました。(昔も今も余り変わりませんが)
兄グラックスは襲撃を受け撲殺、死体は川に投げ込まれているところが発見されました。
非常手段によって改革は潰されましたが、紀元前133年の出来事です。
弟ガイウス・グラックスは兄の無念の死から10年後、同じく護民官に就任し兄の政策を実現しようとしました。
この時も暴動が起こり混乱の中で弟グラックスは自殺して、この兄弟の改革は失敗に終わったのです。(紀元前123年)

3)マリウスの軍制改革

 貴族は大土地所有を守り通す事が出来ましたが、ローマ軍の弱体化に関する問題は残ったのです。
この問題を一気に解決したのが、紀元前107年に行われたマリウスの軍制改革でした。
マリウスは将軍として頭角を表し、コンスルになった人物です。
ローマの軍隊の基本は、財産を持ったローマ市民が武器自弁で兵士となって従軍する事でした。
その為にグラックス兄弟は、武器自弁が出来る農民層を済生しようとしたのです。
マリウスはこの基本項目を切り捨て、「無産階級が兵士に成る事を肯定する」と彼は云います。
では、武器、防具の装備はどうするのかと云えば、マリウス本人が提供する訳です。

 マリウスは無産階級市民を兵士として採用し、武器を与え、給料も支払ました。
その費用は基本的には彼の私有財産ですが、兵士個人の問題として、働ける期間はそれ程長期では無く、ある程度年を経ると兵士としては退役して行きます。
この様な退役兵に対してもマリウスは援助を怠らず、ある程度勤務を終えて、兵役を離れた者には土地を分け与え、自作農民として自活出来る様にしました。

 武器自弁の原則を放棄する事で、兵士不足は一気に解決し、マリウスはこの新しい軍隊で勝利を続けました。
これがマリウスの軍制改革なのです。

 しかし、この軍制改革でローマ軍の質が大きく変化しました。
武器自弁の農民軍当時、兵士はローマ市民の義務を自覚して従軍していました。
ところが、マリウスの編成した兵はどうかと云えば、彼らの気持ちの中で、ローマの為に、ローマ市民の義務として、という意識は小さくなり、一方で「自分を雇ってくれているマリウス将軍のために」との気持ちの方が大きく成りました。
又、マリウスもこの様な状況を意識して兵士を錬成したのですが、この現象を軍隊の「私兵化」と成りました。
更に、私兵の軍事力を背景に、マリウスのローマ政界での発言力は重みを増し、何らかの選挙の時には、彼の兵士達がマリウスに投票します。
兵士は皆平民なので、平民会でマリウスをローマ政府の役職につけることが出来るのです。

 これは、自分の政治勢力を伸ばしたい貴族政治家にとっては大変好都合で、後に多くの野心家達がマリウスのやり方を真似ることになります。
そして、私兵を養った将軍同士の内乱が続き、ローマは混乱の時代を迎えます。

 グラックス兄弟の改革から100年間を「内乱の一世紀」と呼び、紀元前91年から紀元前88年には、イタリアの都市がローマ市民権を求めてローマに反乱を起こします。
同盟市戦争の勃発で、ローマはローマ市民権をイタリア諸都市に与える事でこの戦争を終結させました。

ローマ・続く・・・
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