歴史のお話その56:ローマ帝國の発展⑧
<ローマ⑧>

『クレオパトラをエジプト女王へ据えるカエサル』"Cesare rimette Cleopatra sul trono d'Egitto"、ピエトロ・ダ・コルトーナ1637年作
5)カエサル
紀元前60年、有力将軍三人による談合が成立し、彼等がローマの政権を握ることになり、これが第一回三頭政治と呼ばれる形態です。
三人はカエサル、ポンペイウス、クラッスス、カエサルは、これはローマで一番人望が高く、ポンペイウスはローマ一番の将軍として誉れが高い、そしてクラッススはローマ一番の大富豪でした。
この三人が力を合わせれば怖いものはなく、元老院も上手く操ります。
三人の中で一番重要な人物が、当然カエサルです。
アレクサンドロス大王、ハンニバルに続く古代世界の英雄でしょうか。(彼をモデルにした映画作品も沢山在りますね)
この人物、人を引き寄せる不思議な力が在った様で、カエサルに会う人は皆、彼のことが好きに成り、カエサルは俺の友人だと、皆が皆、自慢したくなるのです。
彼の渾名には「借金王」が在ります。
カエサルは借金が多く、ローマ中の金持ち、富豪から借金しては、この金を平民達にふるまうのです。
先に剣奴の項目で説明した様に、剣奴の試合を次々に開催して平民達を招待し、食糧を買い込み、皆に振舞う、それもみんなの度肝を抜くような規模で行います。
よって、益々平民達のカエサル人気は高くなるのです。
カエサルは紀元前58年からガリア遠征を行いました。
この遠征は紀元前51年迄続きますが、この期間にカエサルはその人望に見合うだけの実力をつけました。
ガリアは現在のフランスの一部の地域で、ガリア人が住んでおり、部族集団単位での行動で、まだローマの領土には成っていませんでした。
カエサルの勝利が次々にローマ市に伝えられ、その都度、彼の人気は上がり将軍としての実力も付いて来ます。
彼の兵士は当然、彼の私兵ですから、この兵士達との人間的な繋がりも強く成ります。
ガリアでの勝利によって、カエサルは支配地となったガリア人から財産を搾り取り、結果的に借金王から大富豪に成りました。
カエサルの将軍としての実力が評価されはじめると、内心面白くないのがポンペイウスです。
それでもクラッススが生きている間は、三人でなんとかバランスが保たれていましたが、紀元前53年にクラッススが死去により、カエサル、ポンペイウス対立の構図が明白に成って来ました。
二人は政略結婚で姻戚関係を結んでいましたが、その様な関係は無いに等しく、又元老院はポンペイウスを利用して、カエサルを潰そうとします。
この様な状況の中で、カエサルは「賽(さい)は投げられた」の台詞で有名ですが、ルビコン川を渡り、ガリアから軍隊を武装解除する事無く、ローマに進軍しました。
ポンペイウスとの決戦を挑む事に成るのですが、結果的にポンペイウスは敗れてエジプトへ敗走し
、最後には暗殺されカエサルの勝利で終わったのです。
この時カエサルはポンペイウスを追ってエジプトに遠征するのですが、ここで出会ったのがプトレマイオス朝エジプト最後の国王、クレオパトラです。
クレオパトラはエジプトの女王として有名ですが、この時の彼女の状況は少々複雑で、ローマ帝国は既に地中海を取り巻く世界凡てを領土に加えていました。
しかし、エジプトだけはかろうじて独立を維持していたのです。
ポンペイウスがエジプトに逃亡したのもこの為です。
しかし、ローマは強力な武力を背景にした帝国で在り、エジプトは何時ローマの属州にされてもおかしくない状態でした。
従って、ローマの事実上の支配者であるカエサルが入国すると、エジプト政府は彼を歓待するわけです。
クレオパトラは、確かにエジプトの国王なのですが、もう一人エジプト国王が在位していました。
此方の人物はプトレマイオス13世、共同統治者です。
しかも、プトレマイオス13世は彼女の弟で在り、姉弟で王座を守っている訳です。
更にこの二人は夫婦でもあるのです。
現在なら近親結婚ですが、イクナートンの様に自分の娘と結婚する国王も存在したエジプトでは不思議では無く、クレオパトラ達プトレマイオス朝王家は、本来ギリシア人なのですが、長くエジプトで生活するうちにエジプトの風俗に馴染んでしまったのでしょう。
ローマ・続く・・・

『クレオパトラをエジプト女王へ据えるカエサル』"Cesare rimette Cleopatra sul trono d'Egitto"、ピエトロ・ダ・コルトーナ1637年作
5)カエサル
紀元前60年、有力将軍三人による談合が成立し、彼等がローマの政権を握ることになり、これが第一回三頭政治と呼ばれる形態です。
三人はカエサル、ポンペイウス、クラッスス、カエサルは、これはローマで一番人望が高く、ポンペイウスはローマ一番の将軍として誉れが高い、そしてクラッススはローマ一番の大富豪でした。
この三人が力を合わせれば怖いものはなく、元老院も上手く操ります。
三人の中で一番重要な人物が、当然カエサルです。
アレクサンドロス大王、ハンニバルに続く古代世界の英雄でしょうか。(彼をモデルにした映画作品も沢山在りますね)
この人物、人を引き寄せる不思議な力が在った様で、カエサルに会う人は皆、彼のことが好きに成り、カエサルは俺の友人だと、皆が皆、自慢したくなるのです。
彼の渾名には「借金王」が在ります。
カエサルは借金が多く、ローマ中の金持ち、富豪から借金しては、この金を平民達にふるまうのです。
先に剣奴の項目で説明した様に、剣奴の試合を次々に開催して平民達を招待し、食糧を買い込み、皆に振舞う、それもみんなの度肝を抜くような規模で行います。
よって、益々平民達のカエサル人気は高くなるのです。
カエサルは紀元前58年からガリア遠征を行いました。
この遠征は紀元前51年迄続きますが、この期間にカエサルはその人望に見合うだけの実力をつけました。
ガリアは現在のフランスの一部の地域で、ガリア人が住んでおり、部族集団単位での行動で、まだローマの領土には成っていませんでした。
カエサルの勝利が次々にローマ市に伝えられ、その都度、彼の人気は上がり将軍としての実力も付いて来ます。
彼の兵士は当然、彼の私兵ですから、この兵士達との人間的な繋がりも強く成ります。
ガリアでの勝利によって、カエサルは支配地となったガリア人から財産を搾り取り、結果的に借金王から大富豪に成りました。
カエサルの将軍としての実力が評価されはじめると、内心面白くないのがポンペイウスです。
それでもクラッススが生きている間は、三人でなんとかバランスが保たれていましたが、紀元前53年にクラッススが死去により、カエサル、ポンペイウス対立の構図が明白に成って来ました。
二人は政略結婚で姻戚関係を結んでいましたが、その様な関係は無いに等しく、又元老院はポンペイウスを利用して、カエサルを潰そうとします。
この様な状況の中で、カエサルは「賽(さい)は投げられた」の台詞で有名ですが、ルビコン川を渡り、ガリアから軍隊を武装解除する事無く、ローマに進軍しました。
ポンペイウスとの決戦を挑む事に成るのですが、結果的にポンペイウスは敗れてエジプトへ敗走し
、最後には暗殺されカエサルの勝利で終わったのです。
この時カエサルはポンペイウスを追ってエジプトに遠征するのですが、ここで出会ったのがプトレマイオス朝エジプト最後の国王、クレオパトラです。
クレオパトラはエジプトの女王として有名ですが、この時の彼女の状況は少々複雑で、ローマ帝国は既に地中海を取り巻く世界凡てを領土に加えていました。
しかし、エジプトだけはかろうじて独立を維持していたのです。
ポンペイウスがエジプトに逃亡したのもこの為です。
しかし、ローマは強力な武力を背景にした帝国で在り、エジプトは何時ローマの属州にされてもおかしくない状態でした。
従って、ローマの事実上の支配者であるカエサルが入国すると、エジプト政府は彼を歓待するわけです。
クレオパトラは、確かにエジプトの国王なのですが、もう一人エジプト国王が在位していました。
此方の人物はプトレマイオス13世、共同統治者です。
しかも、プトレマイオス13世は彼女の弟で在り、姉弟で王座を守っている訳です。
更にこの二人は夫婦でもあるのです。
現在なら近親結婚ですが、イクナートンの様に自分の娘と結婚する国王も存在したエジプトでは不思議では無く、クレオパトラ達プトレマイオス朝王家は、本来ギリシア人なのですが、長くエジプトで生活するうちにエジプトの風俗に馴染んでしまったのでしょう。
ローマ・続く・・・
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