2013/03/16

歴史のお話その64:ローマ帝國の発展⑯

<ローマⅩⅥ>

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◎ローマ帝国の変質

1、ディオクレティアヌス帝

 パックス=ロマーナ(ローマの平和)以降、235年~284年の間、この時代を軍人皇帝時代と呼びます。

 軍人皇帝時代は、兵士が自分たちに都合の良い将軍を皇帝の座に据える、その様な時代です。
ローマ帝国は、国境地帯に20程の軍団を配置していたのですが、各軍団の兵達が自分たちの司令官を皇帝に押し立て、都合が悪く成ると帝位から引きずり降ろすのです。
アウグストゥス(オクタヴィアヌス)の時代から皇帝は兵士、つまり市民の支持がなければその地位を保つ事は出来ませんでした。
従って、歴代皇帝は常に兵士に都合の良い施策を行います。
此処まで来ると、皇帝が兵士に気を使いすぎ、主従関係が崩壊した時代が軍人皇帝時代。
当に末期的症状です。

 50年間に即位した皇帝は26人、その平均在位年数は2年。
このうち天寿を全うしたのは2名のみ、他の皇帝達は兵士に廃位されるか、対立皇帝に暗殺されています。

 この軍人皇帝時代に終止符を打った皇帝が、ディオクレティアヌス帝(在位284年~305年)です。
彼は、1兵士からローマ帝國皇帝に迄出世した人物で、現在のクロアチアが出身地に成ります。
軍人皇帝時代に失墜した皇帝の権威と権力を再生し強化しようと努力したのです。
その為に彼は、ローマ帝国の政治の仕方を大きく変え、その新たな統治の仕方を専制君主制=ドミナートゥスと云います。

 極端な言い方をすれば、ペルシア風の皇帝を目指したと考えれば良いでしょう。
元老院尊重を止め、共和政的な形を捨て去り、自分の事を「主にして神」と呼ばせ、会議の時には顧問官達を起立させ、座る事を許しませんでした。

「帝国四分割統治」も始め、ローマ帝国を東西に分けてそれぞれに正帝副帝を置き、自分は東の正帝になります。
広大な領土を一人で支配する事には、限界が来はじめていたのでしょう。
皇帝が4人同時に在位している事に大変違和感を持ちますが、此れは皇帝という訳語の感覚とローマ皇帝の実態とのズレが問題の様です。

 このディオクレティアヌス帝はキリスト教徒を迫害したことでも有名です。
かれは「主にして神」ですから、国民に自分に対する礼拝を強制しますが、キリスト教徒は行いません。
ディオクレティアヌスは彼らにとっては神としての存在では在りません。
皇帝としては、この行為を許す事は出来ず、弾圧の対象としたのです。

ローマ・続く・・・


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