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2013/03/19

歴史のお話その66:ローマ帝國の発展⑱

<ローマ帝國に翻弄された隊商都市①>

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女王ゼノビア

◎パルミュラ:砂漠の女王ゼノビア

 「荒野のタドモル」と呼ばれ後にギリシア人によってパルミュラ(パルム→ナツメヤシ→ナツメヤシの都)と改名した街で、シリア砂漠の中央部に位置します。

 3世紀初頭、東部シリアの砂漠にゼノビアと名づけられた、女の子が誕生しました。
父は、アラブのベドゥインの首領ザッパイ、母はクレオパトラの末裔と称される程の美貌を持った、ギリシア女性でした。
彼らの住居は、シュロの葉陰のオアシスに設けられた、駱駝の皮で造った幕舎で、多くの家畜と共に牧草を追う遊牧の民でした。
ゼノビアは子供の頃から、才色とも優れザッパイの部下達も「これ程に美しい少女を見た事が無い」と感心する程で、彼女は父に似て、アラブ人特有の青褐色の肌を持ち、母に似てギリシア風の輝かしい黒い瞳を持っていました。
「その内にきっとクレオパトラの様に美しい娘になる」、母は何時も自慢げに話しをしていたそうです。
しかし、ゼノビアは単に美しいというだけで無く、学問の秀でた才能を見せ、強靭な身体と勇敢さを兼備えていました。
12歳の時には既に、もはや如何なる男達にも負けない程に駱駝を乗りこなし、若くして父ザッパイに変わってベドゥインを率いたのでした。

 その当時、シリア砂漠の中に、際立って有名なオアシスが在りました。
オアシスの名前は、パルミュラと云いシリアの東半分をその勢力化に置き、又この地域はキャラバンの要衝にも辺り、中国の絹、インドの宝石、ペルシアの真珠、アラビアの香料等東方の物資は一旦、パルミュラに集積し、バザールが立ち、ダマスクス(当時の人口200万人)や、ローマをはじめとする裕福な地中海世界へ運ばれて行きました。
大海原に浮かぶ緑の島の様なパルムの都には、ギリシア、アラビア、ユダヤ、シリア等の商人が多数居住し、豪邸を構え、絹、絨毯、ナツメヤシ、多様な穀物、香辛料を蓄える倉庫も多数立ち並んでいたと云います。

 街に住む彼等は、パルミュラを防護する為に、街の周囲11kmに及ぶ城壁を築き、城門から城門を石造りの円柱に支えられた回廊で結びアーケードを形作りました。
神殿、宮殿もその建築は多くの円柱を用い、その円柱にはどれも優れた彫刻が成され、3世紀中葉、荒涼とした砂漠の中央部に、シュロの葉陰と円柱の回廊に囲まれた、パルミュラの街こそは当時世界に比類ない富み栄えた都市国家であったのです。

 当時、東方世界にその版図を広げつつ在ったローマ帝国は、パルミュラの繁栄を我物にする為、軍団を遠征させ、この豊かなオアシス国家を併合し、帝国の領土に編入しました。
最もパルミュラは、ローマの主権を認めながらも、その独立は放棄しませんでした。
しかも、パルミュラの住民の内には、自由をこよなくするアラブ人が多数を居り、彼等は機会を伺いながら反乱を起こし、ローマ帝国からの束縛を跳ね返そうと考えていたのでした。
時のローマ皇帝ティベリウスから元老の位を授けられ、ローマ帝国の名の下にパルミュラを統治していた、アラブ系の若い貴族オディナトウスもその様な一人で、彼は反乱分子を指導訓練する為に、密かに街を離れ砂漠に来た折、其処で図らずも、ベドゥインの首領ザッパイとその娘ゼノビアに出会ったのです。

ローマ・続く・・・

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コメント

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こんばんは

才色兼備。
それがまさに真の美しさですね。