歴史のお話その67:ローマ帝國の発展⑲
<ローマ帝國に翻弄された隊商都市②>

◎東方の女王
オディナトウスは美貌で気高く、才にたけ、駱駝乗りの名人でもあるゼノビアを一目見て求愛し、父ザッパイの許しを得て彼女を妻としました。
二人は程なく、パルミュラの館に移り住みます。
歴史上、ゼノビアの様に優れた女王に恵まれた国は殆ど無く、彼女は当時18歳に成ったばかりでしたが、美人の多いパルミュラの街でも、一際目立つ存在でした。
黒い瞳の彼女に勝る美しい女性を探す事は困難でしたが、国事に関しても大臣達は彼女の知恵に驚き、将軍達は彼女の勇敢さに舌を巻きました。
トレベリウス・ポリオは、彼女の美しさについて「肌の色は暗褐色で瞳は黒く、ただならぬ輝きを放ち、顔立ちは神のごとく表情豊かで、人格は挙措優雅で、歯は真珠の様に白く、声は澄み力強かった」と記録しています。
又、「ローマ帝国衰亡史」の著者エドワード・ギボン(1743年~1794年)は「彼女は言葉の知識だけでも、彼女が勤勉な習慣を身につけさせられた事を示し、又彼女が読んだ、ラテン、ギリシアの文学から、将軍達やオディナトウスよりも世界について深い知識を持っていただろう。彼女はロンギノスの指導の基に、ラテン、ギリシアの作家研究を続け、ロンギノスは同時代の哲学者及び古典学者間でも卓越した人物だった」と述べています。
レオナード・コットレルは「彼女はラテン語、ギリシア語、シリア語に加えてエジプト語にも通じていた。多分、彼女はアレクサンドリアで育ったのだろう」と述べ、更に「美しい才女は、数少ないとは言え、居ない事は無いが、優れた騎手で、軍団の先頭に立って遠征し、将兵と寝食を共にし、将軍としてローマの軍勢を破った才女の如きを聞いた事は無く、ゼノビアは正にその通りで、其れも一時はナイル川からユーフラテス川迄の広大な帝国を支配しながらの事だった」とも書き残しています。
ゼノビアはローマの専横を極度に憎んでいたので、オディナトウスの妻と成ったその日から、夫を助けてパルミュラをローマの圧制から解放する為に、密かに指導的な役割を演じていました。
例えばアラブ兵の訓練に従い、軍事計画に加わり、馬上で幾日も過ごす事を学び、野営に参加し、士官達と食事を共にしました。
間もなくゼノビアは、自らの手で訓練した精鋭を直接指揮する機会に恵まれます。
ペルシア王シャープルがユーフラテス川を越えて侵入し、ローマ辺境守備隊の一軍団を壊滅させ、パルミュラに侵攻する矛先を向けた時、オディナトウスはゼノビアにペルシア軍迎撃を命じたのでした。
ゼノビアは長年に渡って訓練した精鋭を率い、暗夜に密かに砂漠を行軍し、ペルシア軍の野営地に夜襲を敢行します。
寝込みを襲われたペルシア軍は、戦意を喪失してユーフラテス川を越えて退却させる事に成功し、ゼノビアはパルミュラに凱旋します。
ローマ皇帝ガリエヌスは、オディナトウスの功績を称え、東方総督の称号を与えて是に報い、ローマ東方帝国の支配を彼に委ねました。
今やパルミュラは、世にも優れた国王と女王を戴き、近隣にその比を見ぬ程の強国に成りました。
その絶頂にあった時、オディナトウスとその息子の一人が、マエオニウスに暗殺されました。
マエオニウスは、以前国王が狩猟に出かけた折、無礼な行いが有り、罰せられたことを恨み暗殺を企てたのでした。
気丈なゼノビアは、夫の死をいたずらに嘆く事なく、その意思を継ぎ、自ら絶対君主と成って「東方の女王」を名乗ったのでした。
新たにシリアの独裁者に成ったゼノビアは、新しく征服する国を探し求め、遥か西方に地味豊かな文化の進んだエジプトが在り、その地は彼女の祖先クレオパトラの国でもありました。
彼女は7万の軍勢の先頭に立ってパルミュラを離れ、オディナトウスが既に平定していたアラビアを超え、シナイ半島のネゲブ砂漠を横断し、エジプトに向かいました。
僅か一度の戦いで勝利を収め、長子のワハブ・アルラートが「王」の称号でエジプト全土を支配しました。
今やゼノビアに立ち向かう国は、もはや存在しない様に思われました。
彼女は純白の駱駝に跨り、紫色のマントを翻しながら、砂漠を縦横に駆け巡り、戦いにつぐ戦いをもって、勝利を収め、シリア、パレスチナ、バビロニア、アラビア、ペルシア、小アジア、エジプトはかつての遊牧の民ゼノビアの前に膝を屈し、彼女を最高君主として受け入れたのでした。
ローマ帝国は、かつて領有していた領土の大半を、彼女の強靭な褐色の手で奪われ、それもたった一人の女性で此れほどの広い領土を支配した者は無く、その後にも見出す事はできません。
かくしてパルミュラは、尊敬と富と栄光に満ち、アジアに於けるローマたる事が約束されたかの様に見えました。
新しい宮殿が建ち、寺院や神殿が建立され、城門の内外には東西の富を満載したキャラバンが集まり、ゼノビアの宮殿には東西の優れた芸術家や学者が大勢おとずれ、ゼノビアはこれ等全ての栄華と光輝を一身に集めていました。
黄金の兜を被り、槍を携え、戦車に乗り、大理石で造られた市内を巡視し、市民は我等の女王に心からの賛美を捧げ拍手を送りました。
特に兵士達の間の人望は、非常に高く彼女の姿在る処、賞賛の歓声は絶える事が在りませんでした。
ローマ・続く・・・

◎東方の女王
オディナトウスは美貌で気高く、才にたけ、駱駝乗りの名人でもあるゼノビアを一目見て求愛し、父ザッパイの許しを得て彼女を妻としました。
二人は程なく、パルミュラの館に移り住みます。
歴史上、ゼノビアの様に優れた女王に恵まれた国は殆ど無く、彼女は当時18歳に成ったばかりでしたが、美人の多いパルミュラの街でも、一際目立つ存在でした。
黒い瞳の彼女に勝る美しい女性を探す事は困難でしたが、国事に関しても大臣達は彼女の知恵に驚き、将軍達は彼女の勇敢さに舌を巻きました。
トレベリウス・ポリオは、彼女の美しさについて「肌の色は暗褐色で瞳は黒く、ただならぬ輝きを放ち、顔立ちは神のごとく表情豊かで、人格は挙措優雅で、歯は真珠の様に白く、声は澄み力強かった」と記録しています。
又、「ローマ帝国衰亡史」の著者エドワード・ギボン(1743年~1794年)は「彼女は言葉の知識だけでも、彼女が勤勉な習慣を身につけさせられた事を示し、又彼女が読んだ、ラテン、ギリシアの文学から、将軍達やオディナトウスよりも世界について深い知識を持っていただろう。彼女はロンギノスの指導の基に、ラテン、ギリシアの作家研究を続け、ロンギノスは同時代の哲学者及び古典学者間でも卓越した人物だった」と述べています。
レオナード・コットレルは「彼女はラテン語、ギリシア語、シリア語に加えてエジプト語にも通じていた。多分、彼女はアレクサンドリアで育ったのだろう」と述べ、更に「美しい才女は、数少ないとは言え、居ない事は無いが、優れた騎手で、軍団の先頭に立って遠征し、将兵と寝食を共にし、将軍としてローマの軍勢を破った才女の如きを聞いた事は無く、ゼノビアは正にその通りで、其れも一時はナイル川からユーフラテス川迄の広大な帝国を支配しながらの事だった」とも書き残しています。
ゼノビアはローマの専横を極度に憎んでいたので、オディナトウスの妻と成ったその日から、夫を助けてパルミュラをローマの圧制から解放する為に、密かに指導的な役割を演じていました。
例えばアラブ兵の訓練に従い、軍事計画に加わり、馬上で幾日も過ごす事を学び、野営に参加し、士官達と食事を共にしました。
間もなくゼノビアは、自らの手で訓練した精鋭を直接指揮する機会に恵まれます。
ペルシア王シャープルがユーフラテス川を越えて侵入し、ローマ辺境守備隊の一軍団を壊滅させ、パルミュラに侵攻する矛先を向けた時、オディナトウスはゼノビアにペルシア軍迎撃を命じたのでした。
ゼノビアは長年に渡って訓練した精鋭を率い、暗夜に密かに砂漠を行軍し、ペルシア軍の野営地に夜襲を敢行します。
寝込みを襲われたペルシア軍は、戦意を喪失してユーフラテス川を越えて退却させる事に成功し、ゼノビアはパルミュラに凱旋します。
ローマ皇帝ガリエヌスは、オディナトウスの功績を称え、東方総督の称号を与えて是に報い、ローマ東方帝国の支配を彼に委ねました。
今やパルミュラは、世にも優れた国王と女王を戴き、近隣にその比を見ぬ程の強国に成りました。
その絶頂にあった時、オディナトウスとその息子の一人が、マエオニウスに暗殺されました。
マエオニウスは、以前国王が狩猟に出かけた折、無礼な行いが有り、罰せられたことを恨み暗殺を企てたのでした。
気丈なゼノビアは、夫の死をいたずらに嘆く事なく、その意思を継ぎ、自ら絶対君主と成って「東方の女王」を名乗ったのでした。
新たにシリアの独裁者に成ったゼノビアは、新しく征服する国を探し求め、遥か西方に地味豊かな文化の進んだエジプトが在り、その地は彼女の祖先クレオパトラの国でもありました。
彼女は7万の軍勢の先頭に立ってパルミュラを離れ、オディナトウスが既に平定していたアラビアを超え、シナイ半島のネゲブ砂漠を横断し、エジプトに向かいました。
僅か一度の戦いで勝利を収め、長子のワハブ・アルラートが「王」の称号でエジプト全土を支配しました。
今やゼノビアに立ち向かう国は、もはや存在しない様に思われました。
彼女は純白の駱駝に跨り、紫色のマントを翻しながら、砂漠を縦横に駆け巡り、戦いにつぐ戦いをもって、勝利を収め、シリア、パレスチナ、バビロニア、アラビア、ペルシア、小アジア、エジプトはかつての遊牧の民ゼノビアの前に膝を屈し、彼女を最高君主として受け入れたのでした。
ローマ帝国は、かつて領有していた領土の大半を、彼女の強靭な褐色の手で奪われ、それもたった一人の女性で此れほどの広い領土を支配した者は無く、その後にも見出す事はできません。
かくしてパルミュラは、尊敬と富と栄光に満ち、アジアに於けるローマたる事が約束されたかの様に見えました。
新しい宮殿が建ち、寺院や神殿が建立され、城門の内外には東西の富を満載したキャラバンが集まり、ゼノビアの宮殿には東西の優れた芸術家や学者が大勢おとずれ、ゼノビアはこれ等全ての栄華と光輝を一身に集めていました。
黄金の兜を被り、槍を携え、戦車に乗り、大理石で造られた市内を巡視し、市民は我等の女王に心からの賛美を捧げ拍手を送りました。
特に兵士達の間の人望は、非常に高く彼女の姿在る処、賞賛の歓声は絶える事が在りませんでした。
ローマ・続く・・・
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