2013/03/27

歴史のお話その73:ローマ帝國の発展㉕

<ローマ市民の都市生活Ⅳ>

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(8)奴隷

 退廃と云う側面では、性的な部分は滅茶苦茶だった推定され、貴族の夫婦関係は名目上とも思われます。
浮気の様な行為は当たり前なのですが、以前にも少し書きました通り、出生率の低下が著しく、元老院の名門貴族の家が次々に断絶し、イタリア半島以外からも名門と認められる家系の者を元老院議員に任命して、欠員を埋めることが多く成ります。

 出生率低下の原因は諸説が在って、はっきりこれが原因と云えませんが、子供を産む行為自体を回避したかったのではないかと思います。
貴族は自分で子供を育てる訳ではないですが、先にも述べた様に性の乱れが激しく、しかも夫からすれば生まれた子が誰の子か分からないことも多々在ったと思われます。
財産相続の問題も生まれてきますから、その様なことに煩わされるよりも、今日の楽しみを思い切り楽しみたい、金持ち達の気持ちはこの様なものだったのではないでしょうか。

 又、奴隷が数多く生活の中に入り込んだ社会自体が、退廃といえるかもしれません。
金持ちは数多くの奴隷を使い、街に出る時は最低2人のお付き奴隷を連れていくことが、中堅市民の条件であり、紀元前70年頃のローマ市人口がほぼ50万人、そのうち4分の3が奴隷若しくは解放奴隷ですから、この状況は異様でしょう。

 大金持ちになると其々専門のことを行う、奴隷をたくさん使います。
雑用から、家事、有能な奴隷は子供の家庭教師と成り、家計を取り仕切らせる者も居たのでした。

 奴隷の悲惨な状態についてはスパルタクスのところでも紹介しました。

 奴隷の供給源は、戦争捕虜や新しい征服地の住民等が奴隷としてローマに連れてこられていたという話を前に書きました。
処で、五賢帝の二番目、トラヤヌス帝の時がローマ帝国の領土が最大に成りますが、以後ローマ帝国は成長期が終わって守りの時期に入る訳です。
新しい征服地がなくなる、戦争捕虜も激減するのは、当然の成り行きです。
では、トラヤヌス帝以後の奴隷はどこからきたのでしょう。

 最近の説で、奴隷=捨て子説。
ローマ人達は、子供が産まれると育てる行為を嫌い、子供達を捨てたと云うもの。
出生率が低下と云いますが、現在の様に避妊法が発達しているわけではなく、男と女がいれば平民、貴族に関係なく妊娠する筈です。
中絶に失敗すれば出産すし、捨てることで見せかけの出生率が減少したと考えれば納得が行きます。


 捨て子の名所が在ったらしく「乳の出る円柱」と呼ばれ、赤ちゃんはみんなここに捨てるのです。
そして捨て子を集めてまわる業者が存在し、嫌な話ですが、この業者が捨て子を奴隷として育てて売買する事で、奴隷の供給源として大きなものだったらしいのです。
だから理論的には、赤ん坊を捨てた貴族が、何年かして自分の実の子だと知らずに奴隷を買って働かせる、ということもあり得るわけです。

 貴族達も奴隷を使うことに対して、多少は良心が咎めたのか、自分が死ぬ時に遺言で、奴隷達を解放してやることが多かった様です。
この様な人々を解放奴隷と云いますが、彼らは自由では在るもののローマ市民権はありません。
ところが、例えば解放奴隷同士が結婚して子供が産まれたら、この子は生まれながらにしてローマ市民となり、公衆浴場も入れるしパンも配給されます。
もし、商売で成功してお金を積んで騎士身分という貴族に成る事もできるのです。
奴隷を買って働かせることも可能でした。

 身分制の社会でありながら、その身分が絶対的でないところがローマの活力の源でもあると云われています。

ローマ・続く・・・

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