2013/03/29

歴史のお話その75:ローマ帝國の発展㉗

<ローマ市民の都市生活Ⅵ>

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◎土木・建築

 ローマ帝国は、大理石で出来た都市を連想する方も多いと思いますが、普段観光客が目にする多くの建築物には、「ローマン・コンクリート」という古代のコンクリートで建築されているものも存在します。
化学が進歩した現代のコンクリートの寿命はおおよそ百年程度と云われていますが、遺跡が現在まで残っているところから判断しても、このローマン・コンクリートの寿命は、二千年程度は在ると思われます。

 数千年と云う時空を超える様な建築物を造ることができたローマ帝国ですから、彼らが造った橋なども堅牢で在り、紀元前に懸架されたアーチを持った石橋などが現在でも使用されていて、人も車も毎日のようにその橋の上を渡っているのですから、流石ローマ人と思います。
恒常的に使う橋も当然ですが、戦闘の時に大河に橋を架けること等も簡単にやってのけます。
カエサルのガリア制覇の報告書であるガリア戦記にも、ライン川に橋を架けた際の詳細な報告が載っています。

 「すべての道はローマに通じる」と云う格言は誇張でもなんでもなく、このローマ軍団の土木技術の高さを表現する最高の褒め言葉でも在ります。
アッピア街道、アウレリア街道等の名前で知られるこの街道は、ローマ時代の高速道路で在り、大軍をできるだけ速やかに地方へ展開させるために造られているので、可能な限り直線を維持し、敷石で舗装され、ローマが健在中はたえず修復をされて大切にされてきた道路なのです。

 こうした土木技術は、攻城兵器の製作等にも応用され、ガリア人が蟠踞する中、ローマ兵達はいそいそと森の中に入っていき、木々を伐採して短時間で木材に加工し、目にもとまらぬ早業で大きな攻城兵器を作り上げてしまうことも在ったと云います。

 ローマ帝国時代、最先端の技術者は紛れもなくローマ軍団兵だったに違いなく、そのローマ軍団兵は、ローマ市民権を持ったローマの一般市民でもあったのですから、ローマが大国へと駆け上る途上は、ローマ市民総てが何らかの技術者だったと言っても良いでしょう。
やはり国力というのは、一般市民がどれだけ知恵を持っているか、技術を持っているかで決定されるものかも知れません。

 木材は、石や古代コンクリートに比較すれば朽ち果て易い材料なので、なかなか後世にまでその技術の高さは残り難い物ですが、造船、架橋、攻城兵器の製作等、木材を加工する技術の高さは一国の国力の高さとある程度は比例するのではないかと感じます。
もちろん、こうした技術は征服した地域にも自然に浸透していくので、最終的にはあらたな創意工夫によって取って代わられていくのも、また人類の歴史なのでしょう。

 江戸期までの日本は、世界の多くの都市で見られるような石造りの都市ではなくて、ほぼ完璧に木造都市で在り、そうした意味でも世界的に見てきっと貴重な街並みだったに違いないと思います。
石垣や城郭の構えの一部に石材が使われてはいますが、最終防衛拠点である天守や本丸等は木造です。
防衛拠点まで木造にこだわったというのも興味深いものですが、戦国末期から江戸初期以降の日本人の土木技術も成長著しく、世界遺産の姫路城をはじめ名城の数々がこの時代に造営されました。
又、会津若松城や島原の原城など実戦で使用された城もあり、日本人の叡智と土木技術の粋を集めて造られた建築物の秀逸さも感じるのです。

ローマ・続く・・・

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コメント

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こんばんは。
いつもありがとうございます^^
まだ少し肌寒い日もありますが、桜も咲きかなり
春らしくなってきましたね。
明日より1日まで、留守しますので訪問できません。
帰り次第お伺いします。

確かに今の時代のコンクリートの寿命は100年と言われていますが、トップの写真を見る限りではローマン・コンクリート凄いです。どんなもので作られているのか知りたいですね!
ローマ軍団の土木技術の素晴らしさに圧巻です。
日本の土木技術も戦国末期から江戸初期以降には素晴らしいものがあります。
私は阪神淡路大震災で高速道路の足下駄がこんなにももろく壊れるものかと驚きました。これに比べたら昔の人は偉大です。便利な時代になったのですが、こう言う土木技術が進化していけば手ねきもあります。いつ建物が壊れるかわかりません。
昔の人の土木技術を私は信じます。