2013/04/01

歴史のお話その77:ローマ帝国以後のヨーロッパ①

<西ヨーロッパ世界の形成①>

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◎ゲルマン民族の大移動

 ローマ帝国が絶頂期を迎えている頃、黒海からバルト海にかけて広く分布していた民族がゲルマン民族です。
カエサルの『ガリア戦記』や1世紀のタキトゥスの『ゲルマニア』に、当時のゲルマン人の暮らしぶりが描かれており、タキトゥスはローマ人が失ってしまった素朴さ、質実な暮らしぶりをゲルマン人にみているようです。
ゲルマン人もローマ人も広い意味で、同じインド=ヨーロッパ語族に属していますから、文化の根底部分で似たところがあるのでしょう。

 ゲルマン人は多くの部族に分かれて、狩猟・牧畜、ローマ人との接触の多い地域では初歩的な農業もおこなっていました。
やがて、人口増加に伴って、集団毎にローマ領内に移住してくる者もあらわれてきました。
中には、コロヌスになったり、ローマ軍の傭兵になるものもでて来ます。
又、有力部族長の子弟が、なかば人質としてローマ帝国で青年時代を暮らし、ローマ風の文化を身につけて成人してから部族に帰る、という事も行われていたので、一部ではかなりローマ化していた部族もあったのです。

 ゲルマン人は多くの部族に別れていますが、この時期に活躍する部族としては、東ゴート、西ゴート、ヴァンダル、ブルクンド、ランゴバルド、フランクが中心です。

 375年、東方から移動してきた遊牧騎馬民族フン族が、黒海北岸にいた東ゴート族を征服します。その西に位置する民族が西ゴート族で、フン族を怖れて民族移動を開始します。
ゲルマン民族大移動の始まりです。

 西ゴート族はフン族から逃れて西に移動しますが、そこにはローマ帝国が在り、ドナウ川が国境で、ローマ軍が国境を守っています。
越境出来ない、西ゴートの人々は「手を振り、泣きながら、船橋を架けて渡して欲しいと哀願を繰り返した」と伝えられていますから、必死で逃げてきている、まさに難民です。

 西ゴート族はさらに西に移動し5世紀初頭には西ローマ領内に侵入します。
当時西ローマ帝国を実質的に支えていたのがスティリコ将軍、実はこの人物はゲルマン人です。
ローマ帝国を支える将軍も大臣もゲルマン人出身のものが非常に多くなっているのですが、ローマ帝国がゲルマン人なしでは成り立たなくなっているのです。

 スティリコ将軍は西ローマ帝国の為に必死に戦っているのですが、ゲルマン人に偏見を持つ人たちの讒言で、皇帝に殺されてしまいます。
この出来事が408年、その2年後、410年には、西ゴート族がローマを占領し、永遠の都ローマが蛮族に蹂躙されました。
この事件はローマ世界に非常なショックを与え、教父アウグスティヌスは、ローマも所詮は地上の国、神の国が大切をさとし『神の国』を著します。

西ヨーロッパ世界の形成・続く・・・


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