2013/04/08

歴史のお話その83:ローマ帝国以後のヨーロッパ⑦

<東ヨーロッパ世界の形成①>

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ユスチニアヌス帝とテオドラ妃

◎ビザンツ帝国の盛衰

 ローマ帝国が東西に分裂した(395年)後、西ローマ帝国はゲルマン人の侵入で滅び、ゲルマン人の国家が建設されます。
東ローマ帝国の皇帝ユスティニアヌス帝(在位527年~565年)はこれらゲルマン民族国家を滅ぼし、旧西ローマ帝国の領土をある程度回復しますが、これが古代ローマ帝国の最後の輝きです。
ユスティニアヌス帝は、トリボ二アヌスに命じてローマ法を集大成した「ローマ法大全」を編纂させたことでも有名です。

 ユスティニアヌス帝の死後、一時拡大した領土はまた縮小していきます。
イタリアはランゴバルト族に奪われ、東方ではササン朝ペルシアとの抗争が続き、北部国境は、黒海の西からブルガール人が侵入しました。
東ローマ帝国はこれらの外敵に対して基本的に守勢一方でした。
ユスティニアヌス帝以後、この国をビザンツ帝国と呼ぶのが一般的で、ビザンツとは首都コンスタンティノープルの古名ビザンティウムからついた呼び名です。

 イスラム勢力にエジプト、シリアを奪われてからのビザンツ帝国の領土は、バルカン半島と小アジアだけになり、実質的にはローマ人の国というよりギリシア人の国ですが、ローマ帝国の理念だけは引き継がれています。
嘗てのローマ市は「パンとサーカスの都」と云われましたが、コンスタンティノープルでも市民への食糧の配給はおこなわれていました。
これはイスラム勢力によって穀倉地帯エジプトが奪われる518年まで続き、ユスティニアヌス帝時代はこの意味でもローマ帝国らしい最後の時代だったのです。

 只、後の時代に成ってもコンスタンティノープルの競馬場で、戦車レースは盛んに行われており、貴族や市民がつめかけておおいに熱狂し、もちろん皇帝も観戦し、古代ローマの栄華を思い出していたのでしょうか?

 ヘラクレイオス1世(在位610年~641年)の時代にイスラム勢力が急速に領土を拡大し、首都での食糧無料配給を停止したのが彼の時代です。
この時期に、イスラムとの戦争のための新しい制度が生まれ、軍管区制と屯田兵制と呼ばれました。
 
軍管区制はテマ制と云い、地方の軍司令官に行政権もゆだねる制度です。
行政の臨戦態勢を取り、地方軍団の兵士は農民ですが、この農民達は租税を免除される代わりに戦時には武器自弁で戦いました。
負けて領土を奪われれば自分達の土地が無くなる訳ですから必死で戦い、侵略戦争には向きませんが、防衛戦争には力を発揮する、これが屯田兵制です。

東ヨーロッパ世界の形成・続く・・・

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