2013/04/10

歴史のお話その85:ローマ帝国以後のヨーロッパ⑨

<東ヨーロッパ世界の形成③>

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十字軍によるコンスタンティノープル占領

◎ビザンツ帝国の盛衰その3

 軍管区制のもとで、やがて地方の軍司令官が皇帝に対して反乱を起こすようになるのですが、9世紀には軍司令官たちの権力を削り弱体化させ、皇帝権力が強化され、この時期がビザンツ帝国の最盛期と云われています。

 余談ですがこの時期には、皇帝の妃を選ぶ為に帝国全域で、現在で言えば美人を集めたコンテストが開催されます。
身分は一切関係なし、全国から美女がコンスタンティノープルに集められて、もっとも美しい娘に皇帝が黄金のリンゴを手渡すのです。
リンゴをもらった娘が妃となるお話は、この黄金のリンゴはトロヤ戦争の発端になったギリシア神話に基づいています。
ギリシア文明の処で紹介しました。
何とも風雅な事と思われますが、神話的な香りがするこの美人コンテストこそが帝国の中央集権化を維持する重要な儀式だったのです。

 11世紀になると大土地所有者である貴族の勢力が強まり、プロノイア制が始まります。
これは、貴族に地方の徴税権を与えるもので、イスラムのイクター制と似たものです。

 又、この時期にはセルジューク朝が小アジア地方に領土を拡大してビザンツ帝国を圧迫する様に成りました。
危機感を持ったビザンツ皇帝は西方のローマ教会に救援を求め、これに応じてヨーロッパ諸国の王や諸侯がビザンツ帝国経由でシリアに遠征します。
第一回十字軍、この後約200年間にわたって前後7回の十字軍が西ヨーロッパからイスラム世界に遠征することになります。

 領土が縮小しても、首都コンスタンティノープルはアジアとヨーロッパ、黒海と地中海を結ぶ交通の中心地で、商業でおおいに栄えている事に変わりは在りません。
地中海貿易で当時一番勢力持っていたのは、イタリアのヴェネチア商人で、コンスタンティノープルにも駐在員を置いておおいに儲けていました。
ビザンツ帝国とヴェネチア商人は相身互い関係だったのですが、両者の関係が一時期こじれます。
その結果、第四回十字軍はヴェネチア商人の誘導でビザンツ帝国を攻撃してコンスタンティノープルを占領してしまいます。

 コンスタンティノープルを乗っ取った十字軍の兵士たちはここにラテン帝国を建国し、ビザンツ帝国の貴族達は地方に亡命政権を立て、これをニケーア帝国と呼びました。

 その後ニケーア帝国はラテン帝国からコンスタンティノープルを奪還し、ビザンツ帝国は復活するのですが、もう以前のような繁栄は在りません。
バルカン半島の領土も新興のオスマン帝国に次々と奪取され、事実上コンスタンティノープルとその周辺だけにしか領土がない都市国家に変貌して行きます。
但し、貿易の利益と千年以上の年月をかけて造り上げてきた何重もの城壁に守られて、都市国家としてかろうじて生き延びる事が出来ました。

 しかし1453年、終にオスマン帝国によってコンスタンティノープルは陥落し、ローマ帝国から数えれば二千年以上続いたビザンツ帝国は滅亡します。

東ヨーロッパ世界の形成・続く・・・

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