2013/04/19

歴史のお話その93:キリスト教の成立⑦

<キリスト教の成立⑦>

Tomb_7_convert_20130419171342.gif

5、キリスト教の成立

 イエスが処刑されて数日後、女性信者三人がイエスの亡骸を引き取りに行いきました。
当時の墓は横穴式の洞窟に成っており、イエスの亡骸もそこに葬られた筈ですが、彼女達が入っていくと遺体が消えています。
死体は確かに無くなっており、そこまでは事実としましょう。

 ところがこの話が、どんどん伝わるなかでイエスが生き返った、復活したと考える人々が現れました。
巻き添えに成ることを恐れて、逃げ散っていた弟子達も再び集まり、弾圧を恐れずイエスの教えを人々に説きはじめます。
彼等も復活したイエスに会ったと云う。

 この様にして、イエスは復活した、イエスはやはり救世主だったと考える人々によってキリスト教が成立しました。
因みにキリストとは、ギリシア語で救世主を意味しています。

 救世主の復活を信じる人々はキリスト教徒と成り、信じない人々はユダヤ教に留まり続けます。
復活を如何に考えるかですが、これはもう歴史から外れてしまうので皆さんの判断に委ねます。
ただ、逃げていた弟子達が再び活動をはじめたのには、何か動機が存在し是等を宗教体験、霊的体験、啓示と呼ぶのでしょうか?

 イエスの弟子で有名な二人がペテロとパウロ。
ペテロは裁判の時にイエスを知らないといった男ですが、処刑後は熱心な布教活動をおこない、最後はローマで処刑された。

 パウロはイエス死後の弟子です。
死後の弟子とは不思議に言い方ですが、復活したイエスに会っていることに成っているのでこの様に呼びます。
パウロは裕福なユダヤ人の家に生まれた熱心なユダヤ教徒で、キリスト教徒を見つけだして迫害していた人物です。
ところが旅の最中に復活したイエスに会い、イエスはパウロに「なぜ、私を迫害するのか」と声をかけたと云います。
これ以後パウロはユダヤ教を捨て、それまで迫害していたキリスト教の布教活動に生涯をかけました。

 キリスト教の理論面でパウロの功績は大きく、イエスの教えを基にパウロがキリスト教をつくったと云う研究者も居るほどです。
パウロはユダヤ人ですが、ローマ市民権を持ち、自由に帝国内を旅行することができました。
キリスト教徒として逮捕されたときも、ローマ市民の権利としてローマ市で皇帝による裁判を要求した。
その為、彼はローマ市に移送されてそこでも布教活動を行い、最後はやはり死刑になります。

 弟子達の活動によってキリスト教は、パレスチナ地方のユダヤ人以外にも徐々に広がっていきました。

 キリスト教独自の聖典が新約聖書で、イエスの言動を記した文書や、弟子達の手紙等から成っています。
イエスの死後から様々な文書が作られ、今のような新約聖書の形になったのは5世紀のことです。

旧約聖書もキリスト教の聖書ですが、此方は本来ユダヤ教の聖典、キリスト教はユダヤ教から派生した宗教なので、これも引き継いでいます。
新約とは、新しい契約という意味で、イエスと神の間で交わされた新たな契約を記した本なのです。
それに対して、旧約とはイエス以前の、神と人間との古い契約を意味しています。

 新約聖書は、多くの作者によって書かれた文書の集約なのですから、イエスの人生も文書によって書き方が大分違います。
例えば、十字架に掛けられたイエスの言葉では、以下。
最初に書かれたマルコ福音書では、「おお神よ、なぜ私をお見捨てになったのですか。」
後に書かれたルカ福音書では、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」
全然受けるイメージが違い、どちらもイエス処刑後40年から60年後くらいに書かれたものなおです。
この様に、実際にイエスの最後が如何なる状況なのか、探るのは難しい問題です。

 聖書の中に書かれているイエス像が全く異なり、作者の数だけイエス像があると言っても過言ではないでしょう。

キリスト教の成立・続く・・・

スポンサーサイト

コメント

非公開コメント