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2013/04/20

歴史のお話その94:キリスト教の成立⑧

<キリスト教の発展、分裂後の東西ローマ帝国>

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ギリシア語で「イエス・キリスト、神の子、救い主」を書き、「イエス」、「キリスト」、「神」、「子」、「救い主」それぞれの頭文字を並べると、「ΙΧΘΤΕ(イクスース)」と成ります。
これは、ギリシア語で「魚」を意味することから、初期キリスト教徒は、イエスの象徴、又、キリスト教徒の象徴、として、魚を用いる様に成りました。

1、キリスト教の発展
 
 イエスの死後、弟子達の活動によって徐々にキリスト教の信者は、ローマ帝国内に広がっていきました。
当初の信者は女性と奴隷が中心だったと云われています。
しかし、此れはイエスが如何なる人々に布教したかを考えれば、当然かも知れません。
 
 奴隷は当然虐げられた人々、女性も社会的には抑圧された生活をしていたと考えられるでしょう。
キリスト教が広まりは、初期には当然新興宗教です。
何時の時代でも新興宗教というものは、周囲から疑わしい目で見られるもので、初期のキリスト教もローマでは胡散臭いものとして見られたようです。
信者であることを知られると迫害される為、彼等は密かに集まって信仰を確かめあいました。

 集まった場所がカタコンベ。
このカタコンベは地下墓所で、ローマ人達は町の郊外に墓地を作ります。
地下にトンネルを掘り、トンネルの壁に棚が作られ、この棚に遺体を安置しました。
火葬の習慣は無く、当然気味が悪い場所なので、誰も好んで来ませんでした。

 迫害を恐れて信者達はここに集まりました。
集まる時間は夜、皆が寝静まった頃を見計らい、奴隷達や女達が家屋敷を抜け出してカタコンベにやってきて集会を開きました。
密かに集まってもやがて人々に知れわたる様に成り、キリスト教の信者達は、夜な夜な地下墓所に集まって何か良からぬことを行なっているのではないか、とますます差別が激しく成りました。

 そんな偏見や皇帝による弾圧に遭遇しながらも徐々に信者は増えたようです。
以前にも紹介しましたが、ディオクレティアヌス帝の迫害は有名ですが、313年にはコンスタンティヌス帝のキリスト教公認、392年のテオドシウス帝による国教化と4世紀にはキリスト教はローマ帝国を支える精神的な柱にまで成長して行きます。

キリスト教の発展・続く・・・
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