2013/04/22

歴史のお話その95:キリスト教の成立⑨

<キリスト教の発展、分裂後の東西ローマ帝国②>

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ニケーア公会議

2、教義をめぐる対立、教父

 信者が増えるにつれて、各地に大きな教会も建設されます。
聖職者も当然多くなり、やがて教義を巡る教会内の対立が起きますが、如何なる宗教でも開祖が死んでから何十年も経過すると、考え方の違いで対立や分裂は在るものです。
只、キリスト教はローマ帝国の公認宗教になりますから、帝国政府としては教会内部が対立するのは好ましくなく、そこで、ローマ政府は公認後何回か聖職者を集めて宗教会議を開いています。

 この会議は、教会内の対立を皇帝が調停することと、もう一つは調停を名目として皇帝が教会内部に干渉し、権力内部に取り込んでしまう、という意味もあったんです。

 この宗教会議を公会議と呼び、有名な公会議が3つ在ります。
325年、ニケーア公会議
431年、エフェソス公会議
451年、カルケドン公会議
ニケーア、エフェソスは、会議の開かれた地名です。

 キリスト教会の内部で繰り返し議論の対象となった問題があります。
この3つの公会議も突き詰めたら一つの問題を繰り返し議論しているのです。
それはイエスの問題でした。
イエスとは如何なる存在なのか?初期の聖職者達も疑問に思い、彼が救世主で在る事に異論は在りません。
その様に信じる人が、キリスト教徒ですが、問題はその先、救世主イエスは人間か、神か?そこで論争が生まれます。
人間であれば死刑後に生き返るはずは無く、イエスを人間とすると、結果的にそれは復活の否定につながります。

 では神だったのか?それも不可解で、キリスト教も一神教で、神はヤハウェのみ、イエスも神としたら神が二人に成ってしまい、結果彼を神とすることも出来ません。
この矛盾をどう切り抜けて、首尾一貫した理論を作り上げるかで初期の聖職者、神学者達は論争したのでした。

 325年のニケーア公会議では、アリウス派の考えが異端とされます。
アリウス派はイエスを人間と主張したのですが、正統と認められたのはアタナシウス派でした。

 431年のエフェソス公会議ではネストリウスが異端とされます。
彼はマリアを「神の母」と呼ぶのに反対し異端に成ったのですが、実際には政治闘争の色彩が濃く、あえて云えばネストリウスもイエスの人間性を強調したのでした。
 
 451年カルケドン公会議では単性論派が異端とされます。
このグループはイエスを人間ではないとし、単純にいえば神だと考えたのです。

 以上の公会議では、イエスを神、人間、どちらかに言いきる主張は異端とされて行きました。
これらの論争を通じて勝ち残って正統とされたのはアタナシウス派で、この派の理論は「三位一体(さんみいったい)説」と云い、神とイエスと聖霊の三つは「同質」とする理論です。
「同質」の意味は「同じ」とは違うことに注意が必要で、「同質」は「質が同じ」なのであって「同じ」とイコールでは在りません。

 「生き返った人間」イエスを人間でも神でもないものに、別の言い方をすれば、人間でもあり神でもあるものに体系化しようとの考えなので、分かりやすい理論を構築すること無理です。
その部分を何とか肉付けして完成された理論が「同質」の「三位一体説」です。
私自信この説は良く判らず、特に突然登場した「聖霊」とはいったい何なのでしょう。

 現在キリスト教は世界中に広がっていますがカトリックもプロテスタントも伝統的な教会は三位一体説にたっています。
教会の説教で「父と子と聖霊の御名において」と唱えられますが、この文句が三位一体です。

キリスト教の発展・続く・・・

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