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2013/05/01

歴史のお話その103:インダス文明⑦

<ウパニシャッド哲学と新宗教②>

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◎ウパニシャッド哲学その2

 二つ目は宇宙の真理について。
ウパニシャッド哲学では、宇宙の根本真理・根本原理が存在すると考え、これを「ブラフマン」と呼びますが、これを中国で漢訳したのが「梵(ぼん)」という言葉です。

 当然修行者達はこの真理「ブラフマン」を自分のものにしたい、掴みたいと思います。
この宇宙の真理ですが、ユダヤ教やキリスト教でこれを神と考え、プラトンならイデアと言うでしょう。
キリスト教やプラトンは神やイデアが遠い場所に存在して、人間はそれに向かって進んで行く、それに少しでも近づく、その様に考えていました。
真理は自分の外の何処かに在ると考えたのです。

 一方ウパニシャッド哲学はこの様に考えます。
宇宙の根本真理「ブラフマン」を掴もうと私達は何処かを探すのですが、思い直せば「私」も宇宙の中の一部です。
宇宙に根本原理があるならば、「私」も宇宙の一部なので、「私」の中にも宇宙の根本原理が宿っている筈です。
何処か遠い処に真理が存在するのでは無く、自分の中に真理は在る、この辺がキリスト教やプラトンと違う発想です。

この「私」の中の真理を「アートマン」と云います。
一般には「個人の根本原理」と説明される事が多く、漢訳では「我(が)」。
私の中に「アートマン」=「我」があって、それが「ブラフマン」=「梵」と究極的には同じモノであるとウパニシャッド哲学は教えます。
これを「梵我一如(ぼんがいちにょ)」云いますが、仏教用語としても流入しているので、仏教にもこの哲学が引き継がれている訳です。

 誰もが自分の中にアートマンを持っている訳ですが、それが簡単には自覚することが出来ません。其れは、様々な物質や欲望によって心が曇っているからで、では何らかの修行によって心の曇りを取り払い、自分の中に「アートマン」を見つけだしたらどうなるかと云えば、それは「ブラフマン」と同じなわけですから、二つは一体化することに成ります。
一体であることを「私」が理解するその瞬間に「私」は「宇宙」と一体となる訳で、一体と成る事は、言い方を変えると自分が消えると云う事です。

 自分が消える、即ち「業」が無くなると云う事で、自分が宇宙と一つに成るのですから、私の行為も消える事に成ります。
「業」が消える。
輪廻転生の原因は「業」なので、私が消え「業」が消えたら、そこには輪廻する対象が無くなってしまい、これが「解脱」で在って究極目標です。

 以上がウパニシャッド哲学を簡単に説明しました。(大学時代のノートが役に立ちました)
この思想に基づいて多くの修行者が、梵我一如実現の為に修行生活に入り、そして、其れは現在迄続いています。

インダス文明・続く・・・

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