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2013/05/04

歴史のお話その106:インダス文明⑩

<ウパニシャッド哲学と新宗教⑤>

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手塚治虫・ブッダより

◎仏教

 仏教の開祖はガウタマ=シッダールタ(紀元前563年~紀元前483年頃)、尊称はブッダ、生没年は色々な説が諸説在り、現在でも確定されていません。
先のマハーヴィーラも同様で、インド人は歴史記録にあまり熱心ではなく、輪廻の思想から生死を繰り返すと考え、年代の記録が極めて少ない様です。
  
 ブッダとは「悟りをひらいた者」の意味で、ガウタマ=シッダールタ以前にもブッダになった者がいたとも伝えられています。
余談ですが、お釈迦様、シャカはガウタマの属した部族の名前で、ガウタマはシャカ族の王子に生まれます。
 お嫁さんも居り、子供も産まれ何不自由のない生活を送るのですが、人生の無常を感じて国や家族を捨てて出家して修行の道に入ります。
森に入れば、修行者が沢山居り、ガウタマは仲間を見つけて修行の日々に明け暮れ、この頃から既にヨーガが確立されており、ヨーガの先生について学んだ事も在りました。
断食も相当激しいものを行った様です。

 ところがいくら過激な苦行をしても、悟りの境地には達しません。
ガウタマは苦行によって悟りをひらく事を諦め、里に下りました。
里に下りて川の畔でガウタマが一息ついている時、修行を辞めてきたばかりだからガウタマは多分ガリガリに痩せていたのでしょう。
村の娘さんが「お坊さん、どうぞ」とミルクを恵んでくれました。
因みにその村娘の名前がスジャータ。(何処で聞いた事が在りませんか?その名前の由来が彼女です)

 重要な事ですが、仏教でもジャイナ教でもインドの宗教に共通ですが、悟りをひらいて解脱できるのは、出家して修行している人だけです。
在家で、普通の暮らしをしている人は決して解脱で出来ず、在家信者も救われる仏教が生まれるのは後の事です。
では、在家の人達の救いは何処に在るのかと云えば、修行しているお坊さんにお布施をする事なのです。
解脱は不可能ですが、解脱を目指している人のお手伝いをする事で良い「業」を積む事が出来、良い業を積めば今度生まれ変わる時に、今より少しでも良い所に生まれ変わる事ができる、考え方です。

 スジャータからミルクをもらい生命力がよみがえったガウタマは、菩提樹の下で瞑想し、悟りの境地に達しブッダとなりました。

 此れからが後の仏教の展開にとって大事なところです。
悟ったガウタマは次の様に考えました。
「この悟りは、とても言葉で表現できるものではない。言葉で説明しても誤解されるだけだ。だから、人に教える事はやめておこう」。
しかしながら、すぐに思い返し、「悟りに近いところにいながらあと一歩のところで悟れない人がたくさんいる。私が教えを説くことによってそういう人々が悟れるようになるかも知れない」。
喩えですが、水面すれすれで咲いている蓮の花を本の少しだけ引っ張り上げる事で、水上で咲けるように成ります。
この場合、水上が悟りの世界です。

 布教活動が初まり、そして布教を決心して最初に出会った人物が苦行時代の仲間でした。
最初は彼を無視するのですが、結果ガウタマの説法を聞いて彼の悟りを確信して最初の弟子になったと云われています。

 ガウタマの説いた仏教とは、基本用語は四諦(したい)と八正道(はっしょうどう)です。

四諦は四つの真理という意味で、
一番目の真理、「人生は苦である」、ウパニシャッドの基本です。
二番目、「苦しみには原因がある」。
三番目、「原因を取り除けば苦しみも消える」。
四番目、「原因を取り除く方法は八正道である」。

八正道とは、単純に八つの正しい道です。
一、正しく見る。
二、正しく考える。
三、正しく話す。
四、正しく行動する。
五、正しく生活する。
六、正しく努力する。
七、正しく思いめぐらす。
八、正しい心を置く。

 之を見ると当たり前の事と思いますが、これが仏教の特徴で、ブッダは苦行を否定し極端を避けるのです。
 
 ジャイナ教に比べるとハッキリしない教えの様に感じますが、当時の人にはこの単純明快さが逆に新鮮であったのではないかと思います。
命を落とす程苦行する事が当たり前の世の中で、ブッダは苦行を否定して、理論によって悟る道を示したのでした。

 仏教もジャイナ教も王侯貴族、クシャトリアやヴァイシャに保護されて発展していきました。
例えば平家物語の冒頭、祇園精舎は有力商人がブッダの教団のために寄進した庭園を漢訳したものです。

 ジャイナ教は今でも信者が居ますが、仏教徒はほとんど居ません。
13世紀初頭,仏教の教団根拠地のビクラマシラー寺院が、イスラム勢力に破壊されてインドの仏教は消滅しました。
寺が破壊された結果、衰退する事事態、当時すでに一般民衆の信者が極めて少なかったと思われます。

 現在のインドの仏教徒は前回話したアンベードカルに始まります。
アンベードカルは不可触民解放の運動を続けて、結局カースト制がある限り差別はなくならないと考え、カースト制を否定するインドの思想を調べて仏教に巡り会いました。
カースト制のないインド社会を作るため仏教に改宗し、皆にも改宗をすすめました。
只、改宗したのはアンベードカルと同じ不可触民のカーストの人だけで、現在でもそれ以外の人にはなかなか広がっていない様です。

インダス文明・続く・・・
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