歴史のお話その110:インダス文明⑭
<インドの諸王朝(大乗仏教、ヒンドゥー教)④>

◎その他の王朝
クシャーナ朝は三世紀中頃に崩壊し、次に重要な王朝がグプタ朝(320年頃~550年頃)です。
クシャーナ朝がイラン系である事とは対照的に、グプタ朝は純インド王朝で、北インドを統一しました。
インド伝統文化の復興がこの王朝の背景です。
建国者はチャンドラグプタ1世、次のチャンドラグプタ2世の時に最盛期を迎えます。
マウリヤ朝のチャンドラグプタと名前は同じですが、家系的には一切の繋がりは有りません。
チャンドラグプタ2世の時に中国から仏教研究の為、僧侶法顕が来朝しました。
この王朝の時に仏教美術が盛んに作られ、ガンダーラ美術と全く異なり純インド風でグプタ美術と呼ばれています。
アジャンター石窟寺院に残された壁画が特に有名で、この壁画と非常に似た絵が法隆寺金堂に描かれています。
グプタ朝は5世紀中頃から中央アジアの遊牧民エフタルの侵入によって衰退していきました。
グプタ朝の崩壊後北インドは分裂時代が続き、古代インドの最後の大規模王朝がヴァルダナ朝(606年~647年)、建国者がハルシャ=ヴァルダナ、この王朝は一代限りで崩壊します。
ヴァルダナ朝には中国から玄奘が仏教を学びに来朝しました。
玄奘というのは三蔵法師として『西遊記』に登場しますが、彼の旅行記にこのヴァルダナ朝が出てくるので有名な王朝に成りました。
尚、南インドの王朝で重要なのがサータヴァーハナ朝(紀元前220年頃~紀元後236年)。
この国はローマ帝国と貿易をおこなっていたことで有名です。
◎ヒンドゥー教
仏教やジャイナ教の大流行で、バラモン教はどの様に成ったのでしょう。
バラモン教は民間信仰を採り入れて徐々に変貌しますが、バラモン教が民衆化した宗教をヒンドゥー教と呼び、現在のインドで8割近い人々がヒンドゥー教の信者です。
では何時ごろからバラモン教が、ヒンドゥー教に変化したのかは分かりませんが、既にグプタ朝の時には確立していたようです。
ヒンドゥー教の特徴は多神教である事と、カースト制を積極的に肯定している事です。
ヒンドゥー教は多くの神様が居り、代表的な三大神がブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァ、です。
ブラフマーは創造神、ヴィシュヌが世界維持神、シヴァが破壊神ですが、破壊神シヴァが一番民衆に溶け込んでいる様です。
破壊は次の創造につながると説明されますが、単純に破壊と云う言葉にある種の快感が存在するのでしょう。
インドの二大叙事詩に「マハーバーラタ」「ラーマーヤナ」があります。
これは徐々に話が整えられ、グプタ朝の時期に完成されたと云われていますが、現在でもインドだけではなくインドネシア等でも広く知られて、愛されている物語です。
そして同時にこれらの叙事詩はヒンドゥー教の経典でも在るのです。
「ラーマーヤナ」はラーマという王子が主人公の話で、粗筋だけ簡単に述べればラーマの妃がスリランカに住んでいるラーヴァナに拐われのですが、ラーヴァナには巨人、魔人等の仲間がいて手強く、ラーマは妻を取り返すのに苦労します。
苦戦のラーマにハヌマーンと云うサルの神様が力を貸してくれて、無事妻を取り返したという筋です。
『西遊記』の孫悟空はこのハヌマーンがモデルらしく、桃太郎の鬼退治にサルが登場するのも関係あるかもしれません。
「マハーバーラタ」は大変長く、スケールの大きい話です。
これはバーラタ王の子孫クル族が二つに分裂して、インド中を巻き込んで大戦争をする話で、その決戦にこんな場面が在ります。
主人公の一人、アルジュナ王子は強い戦士でも在ります。
その彼が両軍向かいあって対峙している時に、敵陣に向かって出撃します。
戦車に乗っているのですが、その戦車の御者がクリシュナという人物、この人は別の国の王でアルジュナの軍に助太刀で参加しています。
人間の姿をしていますが、実はヴィシュヌ神の化身で、敵陣に突進する途中で急にアルジュナは迷いに落ちます。
両軍の真ん中で戦車を止めさせ、「どうしたのか」と問うクリシュナにアルジュナは話します。
「一族の物や仲間や先生を殺して良いものか」と。
敵の軍ても同じ一族が別れて争っているのだから、親戚とか昔の親友や師匠が敵軍に居る訳です。
これに対してクリシュナが如何に生きるべきかを語る部分が在るのですが、その言葉が凄いのです。クリシュナは云います。
「迷わず殺せ!」
納得できないアルジュナにクリシュナはその理由を延々と語ります。
これがヒンドゥー教の神髄で、この部分だけが特に取り出されて「バガヴァッド・ギーター」という本になっています。
クリシュナは続けます。
「すべて生きるものは輪廻から逃れられない。いつか死んでまた生まれ変わるのだから、何時死のうとそれは大した問題ではない」、「だから殺す事を迷うな、何時か必ず死ぬのだから今御前が殺しても同じ事だ」、すさまじい発想です。
一歩間違えると殺人を正当化するどこぞの新興宗教と同じに成ってしまいそうです。
更に「御前はクシャトリアである。クシャトリアの義務は戦う事にあるのだから戦うことに迷うな。義務を果たせ」義務を果たさない事は不名誉な事です。
ヒンドゥー教はカースト制を肯定しますから、当然出てくる発想で、自分のカーストに外れない行いをせよ、と言っているのです。
ヒンドゥー教徒ではない立場からすると可也過激な事を言っている様に聞こえる部分も在ります。しかし文学作品ですから読んでみると心を揺さぶる様な表現で語られているのです。
「貴方(貴女)の職務は行為そのもにある。決してその結果にはない。行為の結果を動機としてはいけない。また無為に執着してはならぬ。」
この文章の意味は、結果を恐れる事無く、汝のなすべき事を成せ、と言っているのです。
この様な言葉だけを取り出すと結構勇気出て来る処も在り、最近注目されている様です。
この様なな文学と共にヒンドゥー教の立場からの法も成立してきます。
「マヌの法典」、成立年月日は不明ですがグプタ朝の時代に完成され、当時の社会的規範や慣習を体系化したもので、これによってカースト制が固定化されたとされています。
ヴィシュヌ神は化身する神ですが、何時の頃からか仏陀もヴィシュヌの化身とされました。
一時はクシャトリアやバイシャに支持された仏教もヒンドゥー教に吸収され、結局カースト制度は消えることなくヒンドゥー教と共に現在迄インド社会に生き続ける事と成ります。
インダス文明・終わり・・・

◎その他の王朝
クシャーナ朝は三世紀中頃に崩壊し、次に重要な王朝がグプタ朝(320年頃~550年頃)です。
クシャーナ朝がイラン系である事とは対照的に、グプタ朝は純インド王朝で、北インドを統一しました。
インド伝統文化の復興がこの王朝の背景です。
建国者はチャンドラグプタ1世、次のチャンドラグプタ2世の時に最盛期を迎えます。
マウリヤ朝のチャンドラグプタと名前は同じですが、家系的には一切の繋がりは有りません。
チャンドラグプタ2世の時に中国から仏教研究の為、僧侶法顕が来朝しました。
この王朝の時に仏教美術が盛んに作られ、ガンダーラ美術と全く異なり純インド風でグプタ美術と呼ばれています。
アジャンター石窟寺院に残された壁画が特に有名で、この壁画と非常に似た絵が法隆寺金堂に描かれています。
グプタ朝は5世紀中頃から中央アジアの遊牧民エフタルの侵入によって衰退していきました。
グプタ朝の崩壊後北インドは分裂時代が続き、古代インドの最後の大規模王朝がヴァルダナ朝(606年~647年)、建国者がハルシャ=ヴァルダナ、この王朝は一代限りで崩壊します。
ヴァルダナ朝には中国から玄奘が仏教を学びに来朝しました。
玄奘というのは三蔵法師として『西遊記』に登場しますが、彼の旅行記にこのヴァルダナ朝が出てくるので有名な王朝に成りました。
尚、南インドの王朝で重要なのがサータヴァーハナ朝(紀元前220年頃~紀元後236年)。
この国はローマ帝国と貿易をおこなっていたことで有名です。
◎ヒンドゥー教
仏教やジャイナ教の大流行で、バラモン教はどの様に成ったのでしょう。
バラモン教は民間信仰を採り入れて徐々に変貌しますが、バラモン教が民衆化した宗教をヒンドゥー教と呼び、現在のインドで8割近い人々がヒンドゥー教の信者です。
では何時ごろからバラモン教が、ヒンドゥー教に変化したのかは分かりませんが、既にグプタ朝の時には確立していたようです。
ヒンドゥー教の特徴は多神教である事と、カースト制を積極的に肯定している事です。
ヒンドゥー教は多くの神様が居り、代表的な三大神がブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァ、です。
ブラフマーは創造神、ヴィシュヌが世界維持神、シヴァが破壊神ですが、破壊神シヴァが一番民衆に溶け込んでいる様です。
破壊は次の創造につながると説明されますが、単純に破壊と云う言葉にある種の快感が存在するのでしょう。
インドの二大叙事詩に「マハーバーラタ」「ラーマーヤナ」があります。
これは徐々に話が整えられ、グプタ朝の時期に完成されたと云われていますが、現在でもインドだけではなくインドネシア等でも広く知られて、愛されている物語です。
そして同時にこれらの叙事詩はヒンドゥー教の経典でも在るのです。
「ラーマーヤナ」はラーマという王子が主人公の話で、粗筋だけ簡単に述べればラーマの妃がスリランカに住んでいるラーヴァナに拐われのですが、ラーヴァナには巨人、魔人等の仲間がいて手強く、ラーマは妻を取り返すのに苦労します。
苦戦のラーマにハヌマーンと云うサルの神様が力を貸してくれて、無事妻を取り返したという筋です。
『西遊記』の孫悟空はこのハヌマーンがモデルらしく、桃太郎の鬼退治にサルが登場するのも関係あるかもしれません。
「マハーバーラタ」は大変長く、スケールの大きい話です。
これはバーラタ王の子孫クル族が二つに分裂して、インド中を巻き込んで大戦争をする話で、その決戦にこんな場面が在ります。
主人公の一人、アルジュナ王子は強い戦士でも在ります。
その彼が両軍向かいあって対峙している時に、敵陣に向かって出撃します。
戦車に乗っているのですが、その戦車の御者がクリシュナという人物、この人は別の国の王でアルジュナの軍に助太刀で参加しています。
人間の姿をしていますが、実はヴィシュヌ神の化身で、敵陣に突進する途中で急にアルジュナは迷いに落ちます。
両軍の真ん中で戦車を止めさせ、「どうしたのか」と問うクリシュナにアルジュナは話します。
「一族の物や仲間や先生を殺して良いものか」と。
敵の軍ても同じ一族が別れて争っているのだから、親戚とか昔の親友や師匠が敵軍に居る訳です。
これに対してクリシュナが如何に生きるべきかを語る部分が在るのですが、その言葉が凄いのです。クリシュナは云います。
「迷わず殺せ!」
納得できないアルジュナにクリシュナはその理由を延々と語ります。
これがヒンドゥー教の神髄で、この部分だけが特に取り出されて「バガヴァッド・ギーター」という本になっています。
クリシュナは続けます。
「すべて生きるものは輪廻から逃れられない。いつか死んでまた生まれ変わるのだから、何時死のうとそれは大した問題ではない」、「だから殺す事を迷うな、何時か必ず死ぬのだから今御前が殺しても同じ事だ」、すさまじい発想です。
一歩間違えると殺人を正当化するどこぞの新興宗教と同じに成ってしまいそうです。
更に「御前はクシャトリアである。クシャトリアの義務は戦う事にあるのだから戦うことに迷うな。義務を果たせ」義務を果たさない事は不名誉な事です。
ヒンドゥー教はカースト制を肯定しますから、当然出てくる発想で、自分のカーストに外れない行いをせよ、と言っているのです。
ヒンドゥー教徒ではない立場からすると可也過激な事を言っている様に聞こえる部分も在ります。しかし文学作品ですから読んでみると心を揺さぶる様な表現で語られているのです。
「貴方(貴女)の職務は行為そのもにある。決してその結果にはない。行為の結果を動機としてはいけない。また無為に執着してはならぬ。」
この文章の意味は、結果を恐れる事無く、汝のなすべき事を成せ、と言っているのです。
この様な言葉だけを取り出すと結構勇気出て来る処も在り、最近注目されている様です。
この様なな文学と共にヒンドゥー教の立場からの法も成立してきます。
「マヌの法典」、成立年月日は不明ですがグプタ朝の時代に完成され、当時の社会的規範や慣習を体系化したもので、これによってカースト制が固定化されたとされています。
ヴィシュヌ神は化身する神ですが、何時の頃からか仏陀もヴィシュヌの化身とされました。
一時はクシャトリアやバイシャに支持された仏教もヒンドゥー教に吸収され、結局カースト制度は消えることなくヒンドゥー教と共に現在迄インド社会に生き続ける事と成ります。
インダス文明・終わり・・・
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コメント
No title
ありがとうございます。
2016-06-18 23:52 URL 編集