2013/05/11

歴史のお話その112:中国大陸②

<黄河文明②>

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◎伝説

 洪水と如何に戦うかが、黄河文明の担い手達には重要な問題でした。
中国伝説に伝えられる古代の聖王に堯(ぎょう)、舜(しゅん)、禹(う)が名前を連ねています。
堯は自分の王位を舜に譲り、舜はその位をやはり治水で頑張った禹に譲りました。
禹は一年中黄河に浸かって働いたので、下半身が腐ってしまったとも言われています。
黄河と切り離して古代中国の国家形成は、考えられないということです。

 この三人は血が繋がっていませんが、位を譲り譲られ、皆徳が在って立派だと云うことで、後に儒家に持ち上げられて聖王とされています。
自分の血縁を無視して徳のある者に位を譲るこの形式を禅譲(ぜんじょう)云い、理想の王位継承パターンとして褒め称えられるわけです。

 伝説では禹は自分の子供に王位を譲り、ここで最初の王朝が成立します。
この王朝が夏(か)なのですが、日本の歴史学会ではこの夏王朝の実在はまだ認められていません。一応中国では実在したとされており、自分の国の歴史はできるだけ古い時代に遡らせたい気持ちが、どの国の考古学者にも存在する様です。

◎殷

 夏王朝の後を継ぐ王朝が殷(いん)王朝ですが、ここからが確実に考古学上その実在を証明できます。

 邑に話を戻して、邑の住民は祖先を同じくする氏族集団と云われ、若しくは複数の氏族集団が一つの邑を建設した事が有ったとも考えられますので、邑は都市国家と呼んでも差し支え無いでしょう。
ギリシアで言えばポリスです。

 やがて邑の中でも他の邑に比べて規模が大きく、軍事力も強いものが出現してくると、その強い邑を中心にして邑の連合体が生まれます。
これが最初の王朝とされている殷で在り、殷は邑の名前でこれが盟主となって他の邑を緩やかに統合したと思われます。
殷は後から付けられた名前で当時は商(しょう)と呼んでおり、この商の時代が紀元前1600年頃から紀元前1027年迄続きます。

 殷の遺跡が有名な殷墟(いんきょ)、王の墓が発掘されています。
逆ピラミッド型に掘った頂点に王の遺体が埋葬され、王の棺の下に犬が埋めて在るのですが、犬は冥府への案内役と思われます。
王以外にも数多くの殉死者が埋葬され、青銅製の酒器も無数に並び、黄泉の国でも王を守る為なのか、兵士も所々に別に穴を掘って埋められ、戦車も出土しています。

 殉死者は服も着て埋葬されていますが、それとは別に生首だけが無数に並べられているのは、神への生け贄か、魔除けと思われます。
数百人、多い場合は千人以上の殉死者、生け贄が一緒に埋葬されているのが殷王墓で、当時可也の権力を集中していたことを想像させます。
ただ宮殿などは藁葺きで、壮麗な宮殿ではありませんでした。 

黄河文明続く・・・

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コメント

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こんばんは

殷もかつては伝説でした。
夏の時代もいつか発見があるかもしれませんね。
日本の天皇も、欠史10代の天皇は、実在か伝説かはわかりませんから。