2013/05/17

歴史のお話その117:古代王朝③

<周その3>

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◎春秋時代

 春秋時代を言い表す言葉が「尊王攘夷(そんのうじょうい)」です。
尊王は王様を尊び、攘夷の攘は「うちはらう・おいはらう」の意味、夷は異民族で、尊王攘夷とは、「王を尊重し、我々諸侯が異民族を打ち破って国を守る。」ことです。
この言葉は幕末の日本でも使われましたから、有名ですが本来は春秋時代の言葉です。
(私は、この言葉を耳にすると「新選組」を連想してしまいます)

 王に代わって天下に号令を発する有力な諸侯が、春秋時代を通じて現れますが、その様な有力諸侯を「覇者(はしゃ)」と呼び、「春秋の五覇」として特に有名な覇者五人をこの様に呼びます。
どの諸侯を五覇に挙げるかは人によって違いがありますが、「斉の桓公、晋の文公、越の句践(こうせん)、呉の夫差(ふさ)、楚の荘王」が有名です。
斉、晋は諸侯の国の名前で、もともとは大きな邑ですが、この時代にはもう国といった規模になっており、桓公等は諸侯の名前です。

 覇者とはどの様な言葉かと云えば、王者より一つ下の称号で、この時代の諸侯は、いくら周王より力があっても周王に遠慮して王者とは言いません。
その為一つ下の覇者と称しますが、理由として宗法がそれなりに生きていますから、桓公とか文公とか覇者の呼び方は「公」、桓王、文王とは絶対に言わないのです。
楚の荘王だけが王と称していますが、これは楚は南方の国で中国の文明地帯から見れば彼らはまだまだ野蛮人です。
この国の人々はまだあまり中国文明化されておらず、宗法とか周王を尊ぶと云った文化に影響されない為、文明国なら遠慮して王とは称さないにも関わらず、遠慮無しに王と名乗っているのです。
やがて、先進地域の国々でも、これに影響されて王と称するようになってきますが。

 春秋時代は諸侯同士で戦乱も数多く在り、最初の頃は戦争で敵国を破っても相手の国を滅ぼすことはあまり在りませんでした。
これは、滅ぼすことでその国の祖先神を祭る者が居なくなることを恐れたためですが、この理屈は以前に紹介しました。
 
 ところが春秋時代も時代が進むと、祟りを恐れる意識も薄れ、小さな国は滅ぼされる様に成り、春秋時代の最初200程を数えた国が、終わり頃には20程に減少した様です。

周・続く・・・

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