2013/05/18

歴史のお話その118:古代王朝④

<周その4>

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◎戦国時代

 時代が戦国時代に移り変わると、宗法の統制は完全に有名無実となり、人々は合理的な発想をする様に成って行きました。
孔子は中国史上最大の思想家で、春秋時代の人物ですが、この人は「怪力乱心を語らず」。
怪奇現象や神秘的なことは口にせず、この様な風潮が広まって来ていたのです。

 家臣が主君を倒す、分家が本家を乗っ取る、この様な事態が頻繁に起き、いわゆる「下剋上」の時代となりました。
この下剋上という言葉も日本の戦国時代で使われますが、本来は中国の戦国時代の言葉です。
春秋時代の大国晋が分家に乗っ取られて三分裂した以後を戦国時代と呼びます。

 戦国時代に強国が七つに絞られ、この国々を「戦国の七雄」と呼び、燕、斉、韓、魏、趙、秦、楚、の七国です。
戦争の主力も歩兵中心に変化し、以前は戦車に乗った貴族が軍の中心でしたが、勝つためには兵力は一兵でも多い方が優位、農民を歩兵として動員し戦争が大規模になり、やがて、秦が中国を統一することになります。

 春秋・戦国時代に中国社会は政治的に大きく変化していくのですが、社会の仕組み全体が大きく変動していった時代でもあります。

 まずは鉄製農具の登場と、牛耕の普及が在ります。
大地を耕すスキ・クワはそれまで木製でしたが、これが鉄製に変わるということがどれだけすごいか想像つきますか。
現在なら人力作業を機械が行う、畑の開梱をトラクターが行う位の差が生じ、更に牛の鼻にワッカを通して紐をつけて引き回す事ができるようになり、牛にくびきをつけて鉄製のスキを牽かせるのですから、飛躍的に耕地が増えて行きました。

 それ迄は多くの土地を耕す事ができず、邑には農民も皆住んでいて、朝になれば農具を持って邑から畑に行って、夕方には邑に帰って来るのですが、鉄製農具と牛耕で、それまで耕せなかった遠くの土地を開拓できるように成りました。
遠くに農地ができると一日のうちに邑から出て帰ってこられなくなりますから、そこで新しい邑を建設してそこに農民は移住していきます。
この様にして次々と新たな邑が作られ、耕地が増え人口も増えていき、領土内の邑を点として支配するそれまでの国家の在り方を「邑制国家」と呼びますが、これが面として領土を支配する「領域国家」に変化してくるのです。

 この結果、それまでいろいろな国が存在しても、その国境線は問題になりませんでした。
開発できない荒野が邑と邑、国と国の間に広がっていたのですが、未開地の開拓がすすんで領域国家となると国境線が問題になって来るのは当然の成り行きで、未開の土地をどの国が支配下に置くのか、農地が広がればそれだけ国力も充実する訳ですから、どの国も必死になります。
これが戦国時代になる大きな背景です。

 農業の発展にともなって商工業も発展しました。
強国の都には人口数十万規模の大都市も出現し、人間も移動する様に成り、生まれた邑の中で一生過ごすのでは無く、諸国を遍歴して商売を行い、仕事を探して大都市に出てくる、その様な人間も多く現れてきました。
春秋時代の末期から戦国時代は、中国史上希に見る躍動的な時代になりました。

 商業の発展に関して、青銅鋳貨が各国で発行されています。
北方の斉、燕では刀銭(とうせん)、中央部の韓、魏、趙では布銭(ふせん)、西の秦では環銭(かんせん)、南の楚では蟻鼻銭(ぎびせん)というものが作られました。
刀銭は刀の形、布銭は農具の形です。スキ・クワの先端部分で、蟻鼻銭は子安貝という貝殻の形をモデルにしており、ニューギニアの高地人等、太平洋の島々では子安貝をお金として使う例がたくさん在るのですが、楚の国が南方系の文化を受け継いでいる事が間接的に理解出来ます。

 特殊な形をした貨幣がなぜ作られたのでしょう。
単に物を売買する為ならば、刀銭や布銭等は不便な形です。
お金に商取引の為だけでなく呪術的、お守りのような役割も有ったのでしょう。

周・続く・・・
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