2013/05/23

歴史のお話その121:古代王朝⑦

<富国強兵②>

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◎商鞅の変法

 能力主義的な人材登用で大成功したのが秦です。
秦の孝公(紀元前361年~紀元前338年)の時に「商鞅の変法」がおこなわれました。
 
 商鞅(しょうおう)は人名で、衛の国の出身、政治家志望なのですが中々自分の才能を認めてもらえません。
或る時秦の国で人材を求めていると聞き出かけて行きますが、現在流に云えばアポイント無しで出かけて行っても、外国出身なので秦の有力者に簡単に会える訳ではないと思います。
商鞅は様々な知り合いを頼って孝公に面会することが叶いました。
孝公は商鞅を非常に気に入り、今で例えれば総理大臣にいきなり抜擢して、政治を全面的に任せることにしたのです。

 これには秦の貴族達も度肝を抜きました。
他所者がいきなり王の信頼を得て国政を任されるわけですから、代々秦に仕えてきた貴族達は面白くなく、自分達が無能と思われているのと同じです。
しかし、王様に逆らう訳にも行かないので一先ずは商鞅のお手並み拝見、と成りました。

 自分の周りが好意的ではないことは商鞅も充分理解しており、貴族達は反感を持っている、そうではない一般民衆にしても商鞅を知らない訳で、商鞅がいろいろな改革をおこなおうとしても素直に命令に従うかどうか分かったものでは在りません。

 その為に商鞅はまず自分を売り込みます。

 秦の都には市場が在り、当時市場は塀で囲われていて門が幾つか付いていました。
市場は民衆が集まる処なので政府の命令等国民への「お触れ」は、この市場の門の前に掲げられたそうです。
 
 商鞅はこの市場の南門に材木を一本立て、そして「この材木を市場の北門に移した者に金十斤与える。大臣商鞅」と触書を出しました。
民衆はこの御触書を読んで彼是と噂をするのですが、怪しい触書の上、商鞅と大臣も素性が判りません。
下手な事をして罰せられてはかなわないので、誰も材木を移しません。
何日か経っても誰も動かさないので、商鞅は賞金を5倍の五十斤にしました。
此れは金17キロ位の価値ですが、そうしたら、ようやく一人の男が材木を北門に移したのです。
勇気があるのか軽率なのか、皆注目している中で実行したのでしょう。
早速彼は商鞅に呼ばれて、約束どおり金五十斤を賞金として貰い受け、この結果は瞬く間に商鞅の評判として広まったのです。
新しく来た大臣の商鞅は有言実行な人物、という感じでしょうか。
貴族達も一先ずは彼に国政を任せるしか無いと思ったのでしょう。

富国強兵・続く・・・

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