2013/05/30

歴史のお話その127:古代王朝⑬

<諸子百家その⑤>

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胡蝶の夢

◎法家

 法家(ほうか)、先に紹介した商鞅、彼は法家に従っていました。
儒家が「礼」を秩序の柱にするのに対して、法家は「法」を柱にします。
法を細かく定めて人民に守らせる、守らなかったら厳しく罰する事が、法家の基本的手法です。
大変解りやすく、効果もすぐに現れ、実際に秦は法家を採用して国力を急伸させましたが、これは思想というよりも統治技術に近いものです。

 法家の理論家としては韓非(紀元前3世紀)、彼の書物が「韓非子」。
韓非は大変な頭脳明晰な人物でが、言語関係に問題が在り、人前で上手に喋ることが出来ませんでした。
最後は秦の国に行って仕官を考えるのですが、若い頃の勉強仲間の李斯男が既に秦に仕えていて、李斯は韓非の才能を恐れて彼を殺してしまったのです。

 この李斯も法家で、仕えたのが後の始皇帝です。
秦が中国統一した時の最大の功労者が李斯と考えても良いでしょう。

 実はこの李斯も韓非も若い頃は、儒家の荀子の弟子だったという言い伝えが在ります。
荀子は、「人間は本来悪だから教育しなければならない」、との立場ですが、この弟子ふたりは前半部分だけを学んだようです。
人間は本来悪なので、罰を与えて恐怖によって統制する事を考えたのです。
しかし、この方法が富国強兵に成功したのですから、人間は意外と悪なのでしょうか?

◎道家

 道家(どうか)、老子、荘子が道家の思想家で、共に紀元前4世紀の人と云われていますが、老子は実在そのものが怪しいのです。

 道家思想は「無為自然(むいしぜん)」、「為(な)すこと無ければ、自(おの)ずから然(しか)り」と読めます。
無理をしなければ、なるようになる、と云う意味です。

 道家の理想とする社会は、自給自足の農村共同体で、権力や道徳的強制が入り込んでこないような共同体を一応目指した様です。

 道家は儒家と墨家とを両方批判します。
儒家の「礼」も墨家の「兼愛」も自然ではなく、其れは人間の頭の中で作り上げたものだ、と云う批判です。
共に人間の感情を型にはめ様としているから、自然の為すがままにさせ、無理をしてはいけない、在るがままで良いのだ、と云っているのです。
「道徳などというものを強制しさえしなければ、心を偽る必要がなくなり、人民は自然の情愛に立ち返る」(老子)。

 当時も道家の説は役に立たないと批判されていました。
老子や荘子を読んでいるとそういう文章が結構でてきます。

 例えば、或る処に大きな木が在って、大きすぎて道がそこで曲がっています。
邪魔なので伐ってしまいたいのですが、固すぎて切れませんし、また、節くれ立っているので伐採しても材木として使うこともできません。
荘子さん、貴方の学問も同様ではないですか?

 そう云われて荘子は返答します。
そんな木が有ったら、夏の日照りの暑い盛りに、その大木の下の木陰で昼寝でもしたら気持ちがいいじゃないか、と。

 瓢箪でも同様な事が書いて在ります。
或る処で大きな瓢箪ができました。
あまりにも大きすぎるので酒を入れて持ち運ぶこともできず、無駄な瓢箪だすが、その瓢箪を真っ二つに割って、湖に浮かべてその上で昼寝したら気持ちが良いだろう。

 無用の長物にこそ、きりきり働きあくせく生きている人間を安らかにしてくれる大事なものがある、その様な事を教えている様です。

 荘子には有名な「胡蝶の夢」の話が在ります。
荘子が寝ていて夢を見る。
夢の中で荘子は蝶になってヒラヒラと飛んでいるのですが、ふわふわ風に舞って実に気持ちが良い。
そこで、荘子は目が覚めました。
「ああ、夢か」、と思ったのですが、思い返せば蝶の自分は本当に夢だったのか、それとも今目が覚めた人間の自分が夢なのか、どうも分からなくなる、と云う話です。

 道家は儒家と共に戦国時代が終った後も、長く中国社会に影響を与えていきました。
道教という宗教がここから生まれ、その影響は儒教や仏教ほど明確な形では在りませんが、日本社会の中にも生きていると思います。

諸子百家・続く・・・


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