2013/06/01

歴史のお話その128:古代王朝⑲

<諸子百家その⑥>

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◎兵家、縦横家、陰陽家

 戦国時代を具現している思想が兵家です。
学者は孫子、孫武、孫ピン(月「にくづき」に賓と書く)と二人ですが、一緒にして孫子としており、書物も「孫子」と云います。

 戦争を勝利に導く技術を体系化したのですが、単なる戦術ではなくて戦争論、政治論、人生論としても読める為、現在でも支持者は多いとの事です。

 「百回戦って百回勝ったとしても、それは最上の勝利ではない。戦わずして相手を屈服させることこそ最上の勝利である。」
 「敵を知り己を知るならば絶対に負ける心配はない(彼を知り己を知らば百戦して殆(あや)うからず)」
等、色々と名言が在り、エピソードも無数に在りが、有名な孫子の兵法より、風林火山を簡単に説明します。

「故に、其の疾(はや)きこと風の如く 其の徐(しず)かなること林の如く、侵掠(しんりゃく)すること火の如く、動かざること山の如く、知り難きこと陰(かげ)の如く、動くこと雷霆(らいてい)の如し。郷を掠(かす)むるには、衆を分かち 地を廓(ひろ)むるには、利を分かち権を懸(か)けて動く。「迂直の計」を先知する者は勝つ。 此れ軍争の法なり」。

 武田信玄が旗印として使用していた『風林火山』は、兵法書『孫子』の軍争篇の一説を引用した物です。

 上記の一説の意味は、「疾風のように早いかと思えば、林のように静まりかえる、燃える炎のように攻撃するかと思えば、山のように動かない、暗闇に隠れたかと思えば、雷のように現れる。兵士を分散して村を襲い、守りを固めて領地を増やし、的確な状況判断のもとに行動し、敵より先に「迂直の計」を使えば勝つ。これが、勝利の法則だ」
この様な意味の文章に成ります。

 此処で「迂直の計」とは、「迂」=迂回し、「直」=直進し等、知恵を使って遠回りをし、油断させておいて電撃的にたたみかける、つまり、静と動、陰と陽、正攻法と奇襲作戦のような「相反する物を巧みに使う」事を解いているのです。

 「吉だ!」「凶だ!」と、合戦の勝敗を占ってた時代に、利に叶った科学的かつ合理的な兵法が存在する事に驚きます。
先に紹介した一説、「彼を知り、己を知れば、百戦して危うからず」は、「情報を集めよ」の意味で、敵の情報も、そして自分自身の事も、調べつくした上で、「勝てる相手とだけ戦え」と言っています。
「孫子」は、全部で13篇からなる兵法書です。

 縦横家は思想よりも外交で名を売った人達で、合従(がっしょう)策の蘇秦(そしん・?~紀元前317年)、連衡(れんこう)策の張儀(?~紀元前309年)が有名です。

 戦国末期になってきて秦は大国として他の六国を圧迫するのですが、これに対抗する為に六国が同盟を結ぶ事を説いた人物が蘇秦です。
地理的に縦に並ぶ六国が同盟するので合従、「縦に合わさる」、と言いました。
蘇秦は六国の大臣を一人で兼任する迄に成ります。

 この策を破ったのが連衡策。
秦に仕えていた張儀は六国に個別に秦と同盟を結ぶ事を説き、合従策を崩壊させました。

 陰陽家は、鄒衍(すうえん・紀元前305年~紀元前240年)、陰陽五行説をとなえ、当時の宇宙観を集大成したものですが、私には良く理解出来ません。

◎古典文学

 春秋戦国期の文学作品の内代表的な作品を三つ紹介します。

『春秋』。
 春秋時代の魯国の年代記で、孔子の編纂と言われています。
春秋時代という時代の呼び方はこの作品から来ており、この本に書かれている時代が春秋時代の意味に成りました。
後に様々な注釈が生まれ、儒学の経典になります。

『詩経』。
 これも儒学の経典に成り、内容は黄河流域の民謡を集めたものです。
素朴な農民達の恋愛の歌等が記録されており、古代社会を知る上で貴重な資料です。

『楚辞』。
 楚の国の王族だった屈原が編集したと云われています。
楚ですから南方の民謡等が記録されており、楚の国はシャーマニズム、巫女が神がかりになってお告げをする、その様な風俗が盛んでその内容も記録されています。
又、屈原は強国秦に楚が圧迫されるのを嘆いて汨羅(べきら)の淵に身を投げて自殺したと云います。この屈原の詩も載っているので、愛国の詩集として中国人に愛読されました。

諸子百家・続く・・・
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