2013/06/29

歴史のお話ぞの150:統一から分裂へ①

<三国時代その①>

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◎後漢末期の情勢

 後漢は2世紀以後、幼い皇帝が連続して擁立され、成人の場合でも権威の無い皇帝が連続してしまいます。
結果は、前漢の末期と同様、再び外戚や宦官が権力を握る事に成りました。

 特に後漢の場合は宦官が力を持って宮廷を影で支配していましたから、官僚にとって好ましく無い状況です。
官僚は皆儒学を修めて要る為、学問の無い宦官が政治に関わる事は理念的に許されません。
宦官に謙って出世を試みる官僚も中には居ましたが、宦官の専権に抵抗して後漢の政治を正しい姿に復帰させ様と考える、理想に燃える官僚達も可也存在していたのです。
この様な官僚を「清流(せいりゅう)」と呼び、清流官僚達は宦官を批判し、世論も彼等の味方をします。

 この様な状況を、宦官がそのまま放置する筈も無く、清流官僚に対する大弾圧が実施されます。
これを「党錮(とうこ)の禁」(166年~169年)と呼称ぃます。
清流官僚達のグループを政界から永久追放し、中には暗殺された人物も存在しました。

 清流官僚は、後漢の国家運営に対して責任感を持った真面目な人物達なので、彼等を潰す事で後漢の宮廷は官僚達の支持を集められなくなりました。

後漢の政府は豪族の連合政権の様な組織と以前に説明しましたが、官僚は中央政界では官僚ですが、出身地に帰れば皆豪族なのです。
彼等は二面性を持っており、儒学を教養として身に付けて、皇帝の為に働けば国家は安泰ですが、党錮の禁で彼等は後漢の政府に決別しています。

 官僚としての顔を断ち切った豪族達の態度は、豪族としての私利私欲の追求に走るようになります。若しくは、世捨て人の様な精神世界の追求に入ってしまうのです。
この様な人を「逸民(いつみん)」と呼称します。

 地方で豪族が私利私欲に走ると如何なる結果を生むでしょうか?
彼等は、土地を独占し、更には後漢の政府は地方の水利工事等、一切の公共工事を停止と云うより、立案さえしなくなり、自作農は経営が不安定になり、その結果天候の不順ですぐに農業経営は破綻し没落する事になります。
最終的には豪族に土地を奪われて、小作や奴隷になるのですが、それでも生きて行ければ未だ良い方で、多くの農民達が生活の基盤を失い、流民となるのでした。

三国時代:続く・・・

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コメント

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こんばんは

不信感。
それが全ての負の連鎖のきっかけですね。