2013/07/01

歴史のお話その151:統一から分裂へ②

<三国時代その②>

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◎後漢末期の情勢②

 豪族に土地を奪われ、小作や奴隷として生きていく極限状態の中で生活している農民達は、心の拠所が欲っしました。
かれらが頼った対象が宗教でした。
この時代、宗教が大流行し、宗教結社の活動が活発化して来ます。

 宗教結社で特に大きな集団は二つ在り、太平道(たいへいどう)、五斗米道(ごとべいどう)で、これらは後に道家思想と結びついて道教の源流に成って行きます。

 二つの集団とも病気を治すと宣伝した、民衆の人気を獲得していくのですが、特に五斗米道の活動は興味深く、信者に成ろうとする者は、五斗の米を教団に納めます。
信者に成れば、祈祷やお札で病気を治してもらえるだけでは在りません。

 この宗教結社は「義舎」と呼ばれる施設を作っているのですが、簡単に言えば無料宿泊所なのです。信者が流民に成って生活の基盤や住居を失ってしまった場合、「義社」に泊まることが出来、食事も出来るのです。
五斗の米を出せない様な貧しい民衆でも利用できるのですが、その場合は労働奉仕を行えば良いのです。
橋の修理、道路の補修、堤防を修築したりする労働を行い、本来、政府や農村の共同体が行うべき仕事なのですが、当時の後漢政府は腐敗が広がり、共同体は豪族の私利私欲で崩壊していました。
その様な部分を五斗米道の教団組織が担っていたのです。

 この様な教団に人気が出ない訳は無く、最終的には現在の陜西省から四川省にかけて独立国の状況を呈する迄に発展していきました。

 太平道は五斗米道の様な具体的な活動はよく判っていませんが、多分同様な活動を行なっていたと思われます。
中国の東部を中心に数十万の信者ができ、政府の無策と豪族の横暴がつづく限り、困窮した農民達が次々と信者に成っていくのです。

 太平道の指導者は張角で、農民信者の支持で自信を持ち、後漢を滅ぼして、新しい国を建設しようと考えました。
信者を軍隊組織にして大農民反乱をおこしたのが黄巾の乱(184年)です。

 黄巾の乱の参加者の矛先は、後漢王朝と農民を苦しめる豪族です。
後漢政府は頼りにならず、豪族達はそれぞれに私兵を組織して黄巾の乱と戦いましたから、所謂群雄割拠の状態に成って行きました。

 この時に兵を挙げるのが三国志のお話で有名な曹操や、孫堅、劉備、その他の英雄達なのです。
三国志の物語では彼等が英雄で黄巾の乱は、農民を苦しめる悪い輩に成っていますが、農民の視点から見れば曹操達は農民を苦しめる側の豪族で、やむにやまれず立ち上がった農民反乱を鎮圧しようとする人物となるのでした。
豪族達の奮戦で黄巾の乱は、鎮圧されますが後漢政府は事実上無力化しますが、政府はこのとき活躍した豪族達に官職を与えて名目的には存続しました。

 後漢が名実ともに滅び去るのは220年です。

三国時代:続く・・・

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