2013/07/12

歴史のお話その158:分裂の時代④

<魏晋南北朝時代④>

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北魏骑兵俑

◎魏晋南北朝時代の政治

 皇帝は国家権力を強化したいと考えるのは、当然の成り行きで、その反対勢力に成りうるのは豪族勢力です。
豪族勢力を押さえて、皇帝権力を強化する方法を画策しました。

 第一に土地、豪族よりも広い農地を直接皇帝の支配下に置く事で、単純に豪族よりも強い権力を持つ事が出来ます。
 その土地で自作農民を育成し、租税を徴収し、更に自作農民を徴発して兵士にする事が皇帝にとって可能に成りますし、計画通りに進めば、豪族に頼らない軍事力と経済基盤を持つことが可能です。

 その為の政策が、三国の魏の屯田制、西晋の占田・課田法。
占田・課田法は豪族の土地所有を制限し、自作農を作り出すための政策といわれています。
更にこの政策の完成された姿が北魏の均田制で、孝文帝の時代に実施されました。
この政策も自作農民を育成する仕組みですが、均田制は国家が人民に土地を支給し、人民は土地を支給されて自作農になることができる代わりに、彼等は国家に対して租庸調(そようちょう)の租税を納め、兵役の義務も果たすことになります。

 この政策によって北魏は強力になったとも云えます。
この均田制は北魏に続く歴代王朝にも引き継がれ、北周を継いで中国を再統一した隋、隋に代わった唐でも均田制は実施されました。

 唐の時代に日本から遣唐使が来朝し、遣唐使がこの均田制を日本に伝えました。
これが班田収授法に名称を変えて、日本でも実施されたのです。

 皇帝権力強化の二つ目の課題が官僚の登用でした。
皇帝の手足となって働く官僚は、中央集権を目指す王朝にとっては絶対必要なのですが、これを如何に採用するのか。
豪族として私利私欲を追求するのではなくて、王朝に忠誠を尽くす人物を採用しなければ成りません。

 魏が実施した九品中正法がそのための方法です。
しかしこの方法によっても採用されたのは豪族の子弟で、しかも、九品中正法は豪族の家柄をランク付けしましたから、有力な豪族は代々高級官僚を輩出する事になりました。
このような豪族は事実上貴族で在って、西晋の時代にはその様な貴族の家柄が概ね決まってきたようです。
これでは、皇帝に忠実な官僚の採用とは言えません。

 但し、豪族即ち貴族が九品官人法によって、国家の序列の中に位置づけられた意味は在りました。国家の存在と無関係に貴族が存在できるのではなく、国家や皇帝権力によって高い家格に位置付けされる事を彼等は望み、その点では九品中正法は豪族を国家権力に取り込んだと云えます。

 九品中正法は魏晋南北朝時代の各王朝で採用され、どの王朝も是が非でも豪族⇔貴族勢力を国家権力に取り込もうとしたのです。
国家権力が豪族とは無縁の官僚を登用できるようになるのは、更に後の隋、唐の時代を迎えてからでした。

魏晋南北朝時代:続く・・・
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