2013/07/13

歴史のお話その159:分裂の時代⑤

<魏晋南北朝時代⑤>

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◎魏晋南北朝時代の文化

 この時代の文化の担い手は貴族です。
代々続く豪族は既に貴族階層で、特に華北の戦乱を逃れて、南方に逃れてきた貴族達によって成熟した貴族文化が発達します。
中国南部の王朝で発展した結果、六朝(りくちょう)文化と呼ばれています。

 後漢の末から豪族⇔貴族達の間で逸民的な雰囲気が流行しました。
混沌とした政治の世界から身を引き、儒学的な道徳に因われず、精神的な自由を守ろうという風潮です。
先の諸葛亮も劉備に懇願される迄は田舎で隠遁生活を送っており、彼も逸民的な生き方をしていたと考えられます。

 儒学に変わって主流に成った思想が老荘思想、道家系統の思想で、西晋の頃から貴族達の間で老荘思想に基づく弁論合戦が盛んに行われました。
貴族の集まりで奇をてらった面白い議論を展開できれば、人物の評判が高まりました。
この様な議論を「清談」と呼びます。

 特に清談で有名になった貴族が七人居り、彼等を「竹林の七賢(ちくりんのしちけん)」と呼びました。
竹林が茂る別荘に集まって清談して時間を過ごしたのです。
竹林の七賢は皆政府の高官でも在り、彼等は現代ならば、国家の発展や人民の生活の安定の為に一所懸命働かなければならない立場なのです。
しかし、浮き世離れした清談に時間を費やしている行為は、悪い言い方をすれば貴族達の現実逃避の手段のひとつであったかもしれません。
そう様な意味でも、「清談」には国家から半分背を向いている、当時の貴族⇔豪族の生き方が良く現れていると思うのです。

 貴族階級には麻薬も持て囃されました。
五石散(ごせきさん)と呼ばれる麻薬を利用している記録が多く在り、やはり死亡事故も発生しています。
貴族の社交場は麻薬で陶酔しながら、浮き世離れした哲学論を戦わせる場でも在った訳です。

魏晋南北朝時代:続く・・

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コメント

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こんばんは

竹林の七賢、おっしゃるとおり、その様なことをしていて良いのか疑問がわきます。
それでもまだ許されたのですから、彼らを支える力もかなり強かったということでしょう。