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2013/07/15

歴史のお話その161:分裂の時代⑦

<魏晋南北朝時代⑦>

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◎代表的な文化人と作品②

 陶淵明や王羲之が活躍し、華麗な貴族文化が、咲き乱れた華南に対して、華北では、五胡系統の王朝が継続して建国された結果、華やかな貴族文化は生まれませんが、実用的な書物が書かれました。

 農業技術書として有名な「斉民要術(せいみんようじゅつ)」。
 「水経注(すいけいちゅう)」は地理書として紹介されていますが、事実、中国国内に流れる河川沿いの風俗、歴史等を紹介した書物なのですが、妖怪や怪獣も実在の存在(!)として登場していますので、実用的な書物とは少々分野が違うと思います。

 五胡十六国の支配者である北方、西方の民族は仏教を保護し、招かれて西域から仏僧が渡来します。
仏僧として名前を残している人物が、仏図澄(ぶっとちょう、ブドチンガ)(?~348年)、鳩摩羅什(くまらじゅ、クマーラジーヴァ)(344年~413年)が有名です。

 仏図澄は、中央アジアの都市国家、亀慈(クチャ)出身で、精力的に中国で仏教を布教しました。
鳩摩羅什は、父親がインド人、亀慈の王女を母親とする人物で、インド留学も経験した一流の仏教僧でした。
五胡十六国時代に中国に渡り活躍するのですが、この人は仏典の翻訳で有名です。

 仏典はインドのサンスクリット語で書かれている為、中国語に翻訳しなければならず、鳩摩羅什はその作業を行ったのです。

 従って日本が仏教を取り入れた時には、当然ながら日本語訳は存在していません。
現在でも仏事でお坊さんが読むお経は漢訳仏典で、日本には鳩摩羅什の様な人物は居なかったのです。

 仏教遺跡は北魏時代の石窟寺院で、雲崗(うんこう)、竜門(りゅうもん)の二個所が有名です。
雲崗は初期の都、平城近郊、竜門は後期の都、洛陽の近郊に造られた寺院ですが、ともに岸壁に造られた巨大石仏で有名です。
竜門は洛陽に近く、北魏時代から20世紀まで連綿と石仏が掘られ続け、掘られた年代を調べても興味深いと思います。

 唐の時代、日本から遣唐使が来朝しますが、その中には仏教を学ぶための学生も多く、日本から来た留学生も多分この竜門の大仏を見たと思います。
やがて時は流れて、聖武天皇の時代、奈良に大仏が作られました。
竜門の大仏と奈良の大仏は、同じルシャナ仏なのです。

 インドで生まれた仏教が、ガンダーラでギリシア文明と融合して仏像を生み、中国に伝わり北魏で造られた大仏が、唐の時代に日本に影響を与え奈良の大仏に成りました。
そういう意味で、まさしく日本は文化伝搬の終点なのです。

 宗教では道教が確立、発展したのも北魏の時代です。
寇謙之(こうけんし)(365年~448年)が道教を体系化して北魏の保護を受けて発展しました。

魏晋南北朝時代:終わり・・・

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