2013/07/23

歴史のお話その167:栄華の時代①

<唐その①>

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◎唐の成立
   
 隋末には各地に反乱勢力が割拠します。
その人物は農民出身者や隋の高官等、反乱勢力の中は色々でした。
そのなかで、混乱を収拾して唐帝国を建てたのが、隋の将軍、しかも名門軍人の李淵(りえん)(在位618年~626年)です。

 処で隋の楊家と李淵の家系は、北魏末に反乱をおこした軍人達の一部で、隋を建国した楊堅は、北周の軍人で、北周時代は楊家と李家は軍人として同僚でした。
しかも李淵の家系の方が格式も高かったのですが、楊堅が隋を建て皇帝に成った為、李淵はそのまま隋の将軍を引き受けていました。
しかも、李淵と煬帝は従兄弟の関係に在り、お互いの母親が鮮卑族の名門貴族独孤氏の姉妹でした。

 その為、隋末に李淵が挙兵した時に、隋の官僚や軍人達には家系的に不信を持つ者は殆どいませんでした。
北周から唐の時代は、縁石関係の中で皇帝の地位を世襲していたとも考えられます。

 上記の理由から、李淵は挙兵後直ぐに長安に入城することが可能で、隋の統治組織をそのまま手中に治めて、対抗の諸勢力を倒していきました。

 唐の建国に大活躍したのが李淵の次男李世民(りせいみん)です。
李淵は温厚な人物で、李世民が父親を促して挙兵したと思っても良く、建国の第一の功労者ですが、次男の為皇太子に就くことが出来ません。
やがて皇太子である兄を実力で倒して、二代目の皇帝になりました。

 唐の第二代皇帝が太宗(在位626年~649年)です。
中国史上三本の指に入る名君で、彼の治世は「貞観の治(じょうがんのち)」と呼ばれ、その貞観時代が平和で良く国が治まった時代でした。

 唐の政策は隋をそのまま引き継いでいきます。
大運河の建設が隋時代に終わっていた分、唐はその成果をそっくり手に入れることができて有利でした。
 
◎政策

土地制度は均田制。
税制は租庸調制。
軍制は府兵制。

律令格式(りつりょうきゃくしき)と云われる法律も整備され、唐はこの律令制度が完成して頂点に達した時代です。

◎三省六部(さんしょうりくぶ)

 三省とは、中書省(ちゅうしょしょう)、門下省(もんかしょう)、尚書省(しょうしょしょう)。中書省は皇帝の意思を受けて法令を文章化する役所。
門下省は中書省から下りてきた法令を審査し、もし門下省の役人が問題ありとした場合、法案は中書省に差し戻しです。
中書省はもう一度皇帝と談義して法案を練り直さないといけません。

 従って、門下省は大きな力を持っており、この門下省の役人になったのが南北朝以来の名門貴族の者達です。
大きな権力を持ってはいるのですが政府の官僚としての権力に過ぎなくなっているところは、注目すべきところです。

 門下省の審査を経た法案は尚書省によって実行に移されました。
尚書省に属しているのが六部で、吏部、戸部、礼部、兵部、刑部、工部の六つの役所が行政担当部門です。

現在の日本の省庁を参考にすると
 吏部は官僚人事。
 戸部は財務省。
 礼部は文部科学省。
 兵部は防衛省。
 刑部は法務省と国家公安委員会。
 工部は建設省。

 以上のような唐の諸制度は遣唐使によって日本に積極的に取り入れられました。
日本でも大宝律令が作られますが、唐の律令の影響が大きく、役所の名前等、現在に到る迄財務省、文部省等、省という呼び方をしているのは三省六部の影響です。

栄華の時代:続く・・・


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