2013/07/26

歴史のお話その170:栄華の時代④

<唐その④>

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◎安史の乱・安禄山の生立

755年、安史の乱(あんしのらん)が勃発します。
反乱軍の指導者、安禄山(あんろくざん)と史思明(ししめい)の二人の名前から安史の乱とよばれます。

 安禄山は、現在の北京北方を守備する節度使(せつどし)の長官でした。

 節度使について。
唐の兵制は府兵制でしたが、玄宗の時代からこの制度が上手く機能不全に堕ちいっていました。
均田制の形骸化が、その主たる原因と思われますが、当然兵士の徴兵もままならず、羈縻政策もうまくいかなくなってきました。
そこで辺境防衛の為に新たに組織されたのが節度使です。
兵士は府兵制の様な徴兵ではなく募兵ですから、お金で雇った傭兵です。
そして、軍団の司令官は管轄地域の民政も兼務します。
軍団指揮官が行政の長官を兼任する形なのですが、国境を警護の為には、この政策が機敏に対応できるのですね。
ちなみに節度使の長官のことも節度使と呼ばれます。

 玄宗の時代には北方国境地域を中心に10個の節度使が設けられていました。

 安禄山は父親がソグド人、母親は突厥人と伝えられ、ソグド人は中央アジアを中心に活動していたイラン系の商業民族です。
その様な家系も在り、安禄山は六カ国語が自由に操り、若い頃から現在の北京方面に置かれた節度使の下級官吏として通訳の仕事をこなしていたと云います。
辺境地域ですから多種多様な民族と接触する機会が多かったのでしょう。

 安禄山の名前は「アレクサンドロス」の音を漢字にしたという説もありますが、此れは外史のお話です。

 安禄山は、状況把握が早く、又人心を掌握することが上手でしたから、唐は人種、民族関係無く秀でた人物を引き上げて行きますから、軍団の中で出世も早かったのです。

 出世する為の手段は何かと言えば、楊貴妃に取り入ったのです。
最初は貢物を届け、時が経つに従い楊貴妃の部屋に入ることさえ許されました。
そして楊貴妃に気に入られれば、当然玄宗皇帝に取り立ててもらえます。

 結果的に玄宗にも重く用いられました。

 安禄山は大変な肥満体でした。
一方で、運動神経は抜群で、玄宗の前で軽快なステップを踏んで踊って見せます。
その体型と踊りの不釣り合いが如何にも印象的で、玄宗の心に止まったのでしょう。
ご機嫌の玄宗が「お前のその大きな腹の中には何が入っているのか」と聞くと、安禄山は「この腹の中は陛下への真心でいっぱいでございます」等と答えるのです。

 安禄山は最終的に、北方の三つの節度使の長官を兼ねる迄に成りました。

 そこまで出世してなぜ反乱をおこしたのでしょう?

栄華の時代:続く・・・

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