2013/07/30

歴史のお話その173:栄華の時代⑦

<唐その⑦>

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◎唐の滅亡

 安史の乱以後、それまでとは全く異なった税制・兵制で国家の中身はすっかり以前とは違ったものになりましたが、後100年程、唐は何とか存続します。

 この唐朝に最後の打撃を与えたのが黄巣の乱(こうそうのらん)(875年~884年)でした。

 黄巣は塩の密売人で、安史の乱後、塩の専売制は唐の大きな収入源となっていた為、塩の値段は上昇して行きます。
塩は生活必需品ですから誰もが買わざるを得ず、庶民の生活を圧迫するのです。
この様に塩の値段が高すぎれば、当然密売人が現れて、政府価格より安く売って莫大な利益を得るのです。
 政府としては密売を放置する事は、収入減に継る為、必死の取り締まりを展開し、密売人側もそれに対抗して、各地の密売組織が連絡をとりあって政府の裏をかいていたのです。
 
 最後に唐中央政府は、軍を投入して取り締まりを更に強化し、追いつめられた密売人がおこした反乱が黄巣の乱なのです。

 黄巣の反乱軍は次から次へと都市を占領して略奪を繰り返し、一つの都市を襲いめぼしい物が無くなると、次の都市に向かう。
この様な一種の盗賊を流賊と呼びますが、神出鬼没で何処に現れるか判らず、先の安史の乱では無傷だった中国南部も大きな被害を受けました。
全国を荒らしまわって最後は数十万の勢力に成長して長安を占領しました。

 この時に黄巣軍は、長安在住の南北朝以来の貴族達をことごとく黄河に放り込んで殺しています。貴族階級に対する庶民の恨みは確かに強く、これで貴族は全滅したということです。
黄巣は長安で皇帝に即位しますが、その後直ぐに反乱軍自体が内部分裂で解体していく事になりました。

 唐王朝は軍事的には彼等を押さえられないので、黄巣の武将達に寝返って唐側に協力する様に誘います。
この政策が首尾よく行われ、有力武将達の離反が相次ぎ、黄巣自身は即位後の政策等在る訳も無く、その上部下は次々に唐王朝に寝返り、敗戦が続き最後は故郷に逃げ帰って自刃して反乱は終息しました。

 しかし、乱の後、唐の政府は全く形だけのものになり、中国全土に節度使が自立して軍閥化していたのです。

 大運河と黄河の合流点に在る、開封の節度使に任命されたのが、黄巣の反乱軍から寝返った朱全忠(しゅぜんちゅう)でした。
907年、朱全忠は唐を滅ぼして皇帝に即位しました。
都は開封、国名は後梁(こうりょう)。

 しかし、後梁は中国全土を支配するだけの力は無く、黄河流域をかろうじて勢力範囲にしただけでした。

 それ以外の地域にはそれぞれの節度使が自立・建国して中国は再び分裂時代に突入します。

栄華の時代:続く・・・


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