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2013/08/04

歴史のお話その177:栄華の時代・文化その②

<唐の文化その②>

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◎宗教の伝播

 東西交流の活発に伴い、西方から様々な宗教も流入します。

 ゾロアスター教、当時祆教(けんきょう)と呼ばれ、イラン系の宗教なので、胡姫達と共に伝授されたと思われます。

 景教(けいきょう)、ネストリウス派キリスト教。
ローマ帝国で異端とされ、東方に拡散し、この時代は中国にも伝播しました。
この宗派に関しては「大秦景教流行中国碑」と云う有名な碑が残っており、造営は781年、高さ276cm。長安でキリスト教が流行したことを記念して建てられたものです。

 マニ教、イラン生まれの宗教も伝わりました。
このマニ教は、仏教、キリスト教、ゾロアスター教を融合させたもので、イスラム以前の西アジアで信者を多く集めていました。

 イスラム教、これは回教(かいきょう)と表現します。
中国は現在でも多民族国家であることは変わらず、イスラム教徒の数も多く、現在はイスラム教を信仰しているウイグル人を回民と記載しています。

 仏教や道教と一緒に上記の宗教寺院が、長安の街には数多く点在していたのです。
遣唐使と共に唐に渡った高野山の開祖、空海は当時中国で流行していた密教を日本に持ち帰りますが、好奇心旺盛な人物なので、長安の街の到る処を歩き回ったことでしょう。
ゾロアスター教や、キリスト教、イスラム教、その様な宗教を日本に紹介する可能性も在ったのです。

 唐の文化をまとめると、国際的な性格ですが、歴史的には五胡十六国時代以来の多民族的な側面が発展したものです。
もう一つは貴族的性格、文化の担い手は六朝文化を継承する貴族階級で、魏晋南北朝以来発展した文化が、唐によって確立されたのでした。

◎文学の隆盛

 唐の文化は文学、なかでも詩の文化です。

 李白(701年~762年)、自由な作風、開放的、貴族的、と云われますが、西域貿易で成功をおさめた商人の息子に生まれ、苦労を殆どする事無く、育った為か自由な詩風に成ったのかも知れません。
先に「少年行」は紹介しましたが、明るく華やかな詩を書く人物で、お酒の詩も多く伝わっています。
李白の優れた才能は評判となり、やがては玄宗の宮廷に出入りするようにもなります。

 当時の文学者はその殆どが、官僚か官僚志望の人たちでした。
官僚に取っては人並みの文章が書けることは、当たり前の教養なので、その中で飛び抜けた才能を持つ者は今でいう人気作家、人気脚本家でしょうか。
その様な人物は、貴族や役人の様々な宴席に呼ばれ、その場にあった詩を即興で創作します。
見事な詩をその場で作り上げて拍手喝采を浴び、ますます評判が上がり、何処か芝居の役者に近いところも在りますね。

 李白は陽気で華やか、自由奔放な性格の為、宴席でも人気が在り、彼が来れば座は大いに盛り上がりました。

 或る時、玄宗皇帝が船遊びをしました。
お気に入りの側近を集めての宴会で、玄宗皇帝、余興に李白を呼んで詩を詠ませようと思ったのです。
そこで側近を李白の所に走らせますが、家には不在、酒好きの李白なので酒場を探し回ったら、発見できました。
「皇帝陛下がお呼びです、どうぞ御同行ください」、と使者が告げますが、李白は既に出来上がって素面では在りませんでした。

以下のエピソードは次回に。

唐の文化:続く・・・


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コメント

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こんばんは

ゾロアスター教は古い宗教ですが、各地に大きな影響を与えましたね。
そして中国、韓国の宗教は、日本にも大きな影響がありましたので、隣国の宗教史の把握は重要ですね。